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昭和51年(1976年)~昭和61年(1986年)

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年 号 年 月 日 内       容
昭和51年 1976年1月8日 周恩来中国首相死去
  1976年1月15日 成人式、網走市の新成人588人
  1976年1月16日 潮見に開校の中学校名選定会「第三中学校」が適当と答申
  1976年1月21日 網走市第2期総合都市計画策定市民の意見を聞く会開催
  1976年1月25日 郵便料金値上げ封書50円、はがき20円となる
  1976年2月7日 第11回オホーツク流氷まつり開幕
  1976年2月23日 国鉄本社で網走駅舎改築決定51年度着工
  1976年2月25日 昭和51年度市予算案発表、一般会計68億209万円
  1976年3月2日 道庁爆破事件発生2人死亡68人重軽傷
  1976年3月10日 市議会議員鈴木芳春が辞職
  1976年3月21日 網走郵便局開局100年記念式
  1976年3月22日 網走海上保安署の巡視船「てんりゅう」に代わり「ゆうばり」(316トン)が配置
  1976年3月28日 潮見小学校閉校式(明治42年11月開校)
  1976年3月28日 市内稲富で温泉湧出、摂氏40~50°
  1976年4月9日 新設した第三中学校が開校、始業式と入学式を教育研修センターで行う
  1976年4月1日 網走被服専門学校、ドレスメーカー専修学校、網走文化専門学校が各種学校から専修学校として認可
  1976年4月10日 網走市総合福祉センター開館式
  1976年4月20日 網走漁業無線局長川村徳二が黄綬褒章受章
  1976年4月25日 新じん芥処理施設八坂設置について住民懇談会で4年ぶりに合意に至る
  1976年5月15日 猛暑で31°(5月の観測史上6位)
  1976年6月17日 千葉通信工業社網走進出を発表(トランシーバー組立)、新町の元エースレーンを仮工場
  1976年6月19日 海上自衛隊掃海艇3隻商港入港
  1976年6月24日 市議会は、桂町のガケ地近接危険住宅移転事業問題で初の地方自治法による100条委員会を設置
  1976年7月7日 第5回北海道漁港大会網走で開く
  1976年7月10日 市議会議員伊藤秀雄が辞職
  1976年7月15日 網走自然休養林(49.3.15指定)利用開始(能取半島地区、網走湖畔地区)
  1976年7月17日 第21回オリンピック・モントリオール大会開会式
  1976年7月20日 米国無人探査機バイキング1号火星に軟着陸
  1976年7月23日 海区漁業調整委員会選挙告示(定数9人に10人立候補届出)
  1976年8月2日 降雹で市内992ヘクタールの畑作物に被害(網走支庁管内7市町村被害)
  1976年8月8日 第30回オホーツク夏まつり開幕(16日まで)
  1976年8月11日 市と能取湖漁民代表の西網走漁協(中野栄光組合長)は、能取漁港共同排水処理施設の公害防止協定に調印
  1976年8月24日 嘉多山、双鏡台に観世音菩薩像建立除幕式
  1976年9月6日 ソ連の最新鋭機ミグ25函館に侵入強行着陸
  1976年9月9日 中国毛沢東首席死去(82)
  1976年9月15日 敬老会開催、市内最高令者佐々木トク(98)
  1976年9月15日 三木改造内閣発足
  1976年9月17日 能取漁港共同排水処理施設起工式
  1976年10月2日 網走市総合体育館落成式
  1976年10月12日 中国華国鋒首相を国家首席に任命
  1976年10月16日 第2回カーニバル・オホーツク開催
  1976年11月3日 網走市文化賞、松橋素鶴(本名・久勝)が受賞
  1976年11月3日 秋の叙勲発表、社会福祉・地方自治功労で窪田茂人(71)が勲五等双光旭日章、国鉄功労で太田勇太郎(80)が勲七等青色桐葉章、オロッコ文化継承者北川五郎(77)が木杯一組受章
  1976年11月3日 米国39代大統領にカーター当選
  1976年11月6日 国鉄運賃改訂、平均50.30%の大幅値上げとなる
  1976年11月10日 天皇陛下ご在位50周年記念式典
  1976年11月15日 任期満了による第34回衆議院総選挙告示(5区は9人立候補届出)
  1976年11月18日 STVラジオ網走地方も放送開始
  1976年11月18日 つくしヶ丘公営住宅で昼火事、幼女2人焼死
  1976年11月20日 雇用促進事業団が建設していた網走野外趣味活動施設「レストハウス」が完成、オープン
  1976年11月25日 市立図書館創立70周年と資料室落成を祝う会
  1976年12月6日 衆議院議員選挙開票、道5区は岡田利春、中川一郎、本名武、島田琢郎、美濃政市が当選
  1976年12月10日 ソ連200海里を公告(200海里漁業専管水域国内法)52年3月施行見込み
  1976年12月17日 三木武夫首相退陣表明
  1976年12月19日 卯原内地区への上水道敷設工事落成祝賀会
  1976年12月21日 駒場に網走地区消防組合網走消防署南出張所開所式
  1976年12月24日 第1次福田赴夫内閣発足
昭和52年 1977年1月10日 新町に市立西児童館開所式
  1977年1月11日 網走黎明登高会、知床縦走のため元旦に入山、吹雪のため遭難、5名救助されたが1名死亡
  1977年1月15日 成人式、網走市の新成人610人
  1977年1月18日 釧路地方法務局網走支局新庁舎落成式
  1977年1月20日 米国カーター大統領就任
  1977年1月27日 ロッキード事件、丸紅ルート初公判
  1977年1月31日 1月の網走の平均気温-13.9℃で、これまでの昭和8年-11.3℃の記録を更新
  1977年2月10日 第12回オホーツク流氷まつり開幕
  1977年2月14日 最低気温-25.7℃気象台史上2番目の寒さ(明治35.2.25-29.2℃)2月としては最低気温の記録
  1977年2月16日 網走水産冷蔵全焼(約2千平方メートル)
  1977年2月22日 第1回網走市技能功労者表彰、夏見軍治、松尾克彦、大槻幸次郎、渡辺俊男、駒木一夫、池上喜平が受賞
  1977年2月25日 昭和52年度市予算案発表、一般会計77億5,465万円
  1977年3月1日 米・ソ連が200海里漁業専管水域を設定
  1977年3月17日 網走愛香幼稚園(大正7年開園)閉園式
  1977年3月18日 第1回網走市優良店舗表彰式、大作時計店、太田家具店、ブティックニシムラ、アトランテが受賞
  1977年3月20日 中園中学校の閉校式、30年の歴史に幕、4月から第三中学校へ統合
  1977年3月21日 網走海洋法対策協議会(会長安藤市長)が北方漁業危機突破網走大会開く
  1977年3月26日 網走南ヶ丘高校の寄宿舎「黎明寮」閉鎖(38年の歴史を閉じる)
  1977年4月1日 北方漁業危機沖合い底曳き漁民大会
  1977年4月4日 今年のソ連木材第1船網走商港入港
  1977年4月4日 網走港が植物防疫(木材輸入)特定港に指定
  1977年4月16日 市独自の網走研究学園都市建設構想を発表
  1977年4月17日 北海学園北見大学開学
  1977年4月24日 網走青年団体連絡協議会発足(会長三条幸夫)
  1977年4月24日 網走視力障害者福祉協議会設立(会長桜井芳夫)
  1977年4月27日 底曳漁船乗務員の漁業危機突破大会開催
  1977年4月27日 網走高等看護学院に初の男子生徒入学
  1977年5月2日 海洋2法成立(領海法と200カイリ漁業水域法)、7月1日施行
  1977年5月3日 網走市内に積雪20センチ、5月としては網走地方気象台始まって以来の記録
  1977年5月10日 網走市八坂じん芥処理場完成、使用開始、潮見ゴミ捨て場は9日で閉鎖
  1977年5月18日 オホーツク海大和堆漁場で韓国船15隻集団操業
  1977年5月19日 網走簡易保険保養センター起工式
  1977年5月19日 網走駅舎改築にともない現広場にある噴水を取り壊し、モヨロ像は網走湖荘に移転
  1977年5月22日 南7東3旧市農協建物を改装し、網走聖ペテロ教会移転新築落成式
  1977年6月4日 韓国漁船団の撤去を求めて約70隻の漁船による海上抗議デモ、陸上では無謀操業抗議大会
  1977年6月4日 市総合計画審議第1回審議会、会長に大林宏文選出
  1977年6月23日 斜網食肉センター(斜網8町村と農協)落成式(東藻琴村)
  1977年6月26日 網走支庁総合庁舎建設工事着工
  1977年6月30日 網走駅舎第1期工事完成で使用開始
  1977年7月1日 網走市公共下水道供用開始、道内市町で18番目
  1977年7月5日 網走市公共下水道終末処理場通水式
  1977年7月13日 三重県津市の「地鎮祭訴訟」で最高裁は公金支出は合憲と初判断
  1977年7月14日 市優良勤労青少年表彰、8人が受賞
  1977年7月23日 オロチョンの火祭り
  1977年7月31日 トランシーバー製造大手の千葉通信工業の網走工場が閉鎖、パート94人解雇、進出1年で撤退
  1977年8月1日 三笠宮殿下、同妃殿下郷土博物館ご見学
  1977年8月1日 音根内に交通安全公園完成(市内初)
  1977年8月3日 青年グループ「青の会」がヘイケボタル1,500匹を網走湖畔に放し、ホタルの里作り
  1977年8月7日 有珠山午前9時12分噴火
  1977年8月9日 東亜国内航空YS11あわじ号女満別空港に胴体着陸
  1977年8月12日 道議会は総合開発特別委員会に研究学園都市建設に関する網走、十勝、大雪山麓の3請願を付託
  1977年8月14日 網走港整備計画による漁業補償問題覚書に市と漁協が調印
  1977年8月18日 国鉄貨物取扱い廃止合理化案発表(52年廃止の中に北浜駅)
  1977年8月19日 女満別空港利用協議会の名称を女満別空港ジェット化促進期成会と改称
  1977年8月31日 網走漁業無線局に高性能無線機設置運用開始
  1977年9月1日 南6西3に北海道労働金庫網走支店開店
  1977年9月14日 45年ぶりにブラジルサンパウロ市在住呼人出身の目黒啓太郎シマエ夫妻一時帰郷
  1977年9月15日 敬老の日 市内最高令者田中とよ(95)
  1977年10月1日 市制施行30年記念市民フェスティバル開催(2日まで、運動公園ほか)
  1977年10月20日 第1回市民書道展開催
  1977年11月3日 網走市文化賞、団体では初の網走十七美会が受賞
  1977年11月3日 秋の叙勲、法務行政功労で竹原国見(70)が勲四等瑞宝章、地方自治功労で田村直美(71)が勲五等双光旭日章、母子保健功労で山内せつ(76)が勲五等瑞宝章受章
  1977年11月12日 網走三中学校屋内体育館完工
  1977年11月13日 第9回全日本種ミンク共進会で網走産ミンク最高位獲得
  1977年11月14日 金市館は南4東1の田辺本店の場所に新店舗を建設すると発表、田辺本店はホテル山水閣跡に移転
  1977年11月15日 北見東京電波女満別工場閉鎖
  1977年11月20日 網走市町内会部落会連合会設立総会開催、会長に花川仁左衛門を選任
  1977年11月21日 今年の女満別空港利用客10万人突破
  1977年11月28日 福田改造内閣で中川一郎代議士農林大臣として入閣
  1977年11月30日 ホテル山水閣が町営観光ホテル以来41年の幕を閉じる
  1977年12月1日 東亜国内航空女満別~札幌線1日4往復運行となる
  1977年12月2日 増築工事中の網走セントラルホテルでガス爆発3人死亡、重軽傷10数人
  1977年12月10日 呼人生活館開館(市内2番目)
  1977年12月12日 網走航路標識事務所新庁舎完成
  1977年12月12日 網走駅舎改築落成、全面オープン
  1977年12月16日 網走市総合計画審議会は総合計画案を市長に答申
  1977年12月19日 網走地方気象台の新庁舎完成し業務開始
  1977年12月20日 山田道雄(61)が教育振興基金として市に1億円寄付
昭和53年 1978年1月12日 網走漁協さけ定置部会が能取漁港第6次建設計画に反対決議
  1978年1月15日 成人式、網走市の新成人538人
  1978年1月22日 猛吹雪で交通マヒ、最大瞬間風速26.9メートル
  1978年1月28日 『網走文化連盟15年史』発刊
  1978年2月9日 網走婦人会館開館(館長松本ウタ)
  1978年2月9日 第13回オホーツク流氷まつり開幕
  1978年2月12日 道出身戦没者に献氷するため、ふるさとの流氷が沖縄へ出発
  1978年2月25日 昭和53年度市予算案発表、一般会計90億6,096万円、特別会計41億3,735万円
  1978年2月27日 網走市中央農協創立30周年・事務所店舗新築落成記念式
  1978年3月1日 特別養護老人ホームレインボーハイツ開所
  1978年3月2日 1日からの猛吹雪で交通マヒ、瞬間最大風速30.6メートル
  1978年3月10日 能取漁港水産物産地流通加工センター形成事業で共同排水処理施設完成、加工場移転遅れで操業は1年後
  1978年3月15日 天都山命名書見つかる
  1978年3月22日 紋別市の道都大学開学記念式
  1978年3月25日 総合計画基本構想が可決
  1978年4月6日 市内小学校入学式、新1年生736人
  1978年4月6日 韓国漁船オホーツク海で操業確認
  1978年4月15日 網走港が重要港湾に指定
  1978年4月23日 網走神社境内の祭典用具置場が全焼
  1978年5月8日 NHK網走ラジオ放送所、呼人に移転、地鎮祭
  1978年5月20日 東京国際空港(成田空港)開港
  1978年5月23日 漁協で韓国漁船による漁具被害対策緊急会議
  1978年5月28日 第12回北海道陸上競技大会開催(運動公園陸上競技場)
  1978年6月3日 網走市湧網線SL列車誘致と網走刑務所資料保存期成会発足
  1978年6月6日 網走刑務所面会室の金網撤去
  1978年6月7日 海上自衛隊中型掃海艇「ふくえ」寄港
  1978年6月9日 網走地方気象台新庁舎落成式
  1978年6月23日 中央港湾審議会で網走港新港湾計画承認
  1978年7月1日 網走~稚内間観光直通バス「オホーツクライン号」運行開始
  1978年7月8日 国鉄運賃値上げ平均19.2%
  1978年7月12日 市優良勤労青少年表彰、10人受賞
  1978年7月13日 上水道、1日消費量17,100トンと通水以来の最高を記録
  1978年7月14日 市農業委員選挙
  1978年7月22日 オロチョンの火祭り
  1978年7月24日 第1回網走市農業大学講座、東京農業大学公開講座開催(婦人会館、25日まで)
  1978年7月25日 環境庁と道の共同調査「網走湖とその流入河川の水質汚濁」の中間報告発表
  1978年7月27日 4月15日に土中に埋蔵した4トンの流氷を掘出したところ15キロに減量
  1978年7月28日 網走簡易保険保養センター落成式(30日開業)
  1978年8月5日 北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」開館
  1978年8月8日 二ッ岩遺跡第2号住居跡発掘調査
  1978年8月12日 日中平和友好条約調印
  1978年8月23日 網走刑務所内誌『樹氷林』300号達成
  1978年8月26日 網走地区農協澱粉工場操業20周年記念式
  1978年9月1日 音根内部落開基70周年記念式
  1978年9月15日 駅前広場整備工事着工
  1978年9月15日 敬老の日 、市内最高令者は田中とよ(96)
  1978年9月16日 句集『鏡橋』刊行(網走刑務所)
  1978年9月22日 南8東4に網走農林会館落成式
  1978年10月3日 網走港重要港湾指定記念式
  1978年10月17日 能取漁港開発調査促進委員会が昭和54年6月開港を答申
  1978年10月20日 東京網走会設立総会(丹羽秀夫会長)
  1978年10月20日 網走港河口突堤灯台(白灯台)改修工事完了
  1978年11月2日 網走市長選挙告示、現市長安藤哲郎立候補届出
  1978年11月3日 市長選挙、現市長安藤哲郎無投票当選
  1978年11月3日 網走市文化賞授賞式、大崎泰山(79)、井上金夫(74)が受賞
  1978年11月3日 秋の褒章、叙勲発表、元商工会議所会頭田辺正英(58)が藍綬褒章、元裁判所職員松島憲郎(70)が勲五等瑞宝章受章
  1978年11月17日 国の構造不況対策の特定不況地域に網走市が指定される
  1978年11月18日 網走刑務所、明治23年以来の裸検査を廃止
  1978年12月1日 すずらん市立保育園移転新築落成式
  1978年12月2日 市立美術館前庭塑像(3体)除幕
  1978年12月6日 サロマ湖新湖口通水式
  1978年12月7日 大平内閣誕生
  1978年12月7日 第3回市優良店舗表彰、渡辺洋服店、羽前屋が受賞
  1978年12月14日 大和堆で道内の底曳船40隻が入漁
  1978年12月15日 市文化財保護委員会は、永専寺山門、網走神社・鱒浦稲荷神社船絵馬、ポンモイ海岸柱状節理の指定答申
  1978年12月18日 網走公共職業安定所新庁舎完成業務開始
  1978年12月21日 南5西1に入りのやビル完成、1階に市内初の深夜スーパー開店
  1978年12月27日 福祉バスの名称公募で「しあわせ号」が入選
昭和54年 1979年1月7日 53年中の東亜国内航空女満別~千歳線利用者数13万6,326人で過去最多
  1979年1月11日 網走漁協昨年の水揚げ95,868トン、84億45,427千円で史上2位
  1979年1月11日 昭和53年度市農畜産物総生産額(推定)発表、99億9,839万円(前年度比0.3%増)
  1979年1月12日 網走地区消防組合管内昨年の火災、発生52件は過去5年間で最多
  1979年1月15日 市民会館で成人式、新成人537人
  1979年1月15日 総合体育館で全日本プロレス興行、ジャイアント馬場ら一行来網
  1979年1月17日 最高路線価発表、市内南4東1で1平方メートル7万千円(前年度比8%上昇)
  1979年1月17日 南ヶ丘高校校舎改築第1期工事完了、9クラスが新校舎へ
  1979年1月19日 釧路地裁網走支部で未熟児網膜症訴訟第1審判決、被告の斜里町が敗訴(20日控訴)
  1979年1月24日 網走地方気象台が流氷初日観測
  1979年1月26日 三菱銀行大阪北畠支店で凶悪な強盗人質事件発生(犯人は28日に射殺)
  1979年1月29日 流氷接岸初日、網走沖で採取したイベント用流氷塊50トンを陸揚げ
  1979年2月7日 6日夕方から7日朝にかけて猛吹雪、最大瞬間風速28メートル(2月としては気象台開設以来)
  1979年2月9日 第14回オホーツク流氷まつり開幕(中央公園、12日まで)
  1979年2月10日 市指定有形文化財に「永専寺山門」、「鱒浦稲荷神社絵馬」を指定
  1979年2月11日 午前8時30分の気温プラス7.1度で流氷まつりの氷雪像崩れる、一部は深夜に復元
  1979年2月17日 市スポーツ賞表彰式、8個人2団体が受賞
  1979年2月18日 中国駐日大使館梁参事官ら3名来網
  1979年2月18日 網走歩くスキークラブ発足、会長藤田敬治
  1979年2月22日 昭和54年度網走市予算案発表、一般会計102億7,452万円(前年度比13.4%増)
  1979年2月25日 初の市民歩くスキーの集い開く(総合体育館~天都山)
  1979年2月27日 網走市公明選挙推進協議会設立、会長栗田六郎
  1979年2月27日 網走支庁は「北海道知事公認」の広告をした市内「サラ金」三業者に削除を指導
  1979年2月28日 嘉多山小学校校舎全焼、中学校一部焼失
  1979年3月4日 清里高校新校舎落成・道立移管記念式
  1979年3月11日 南ヶ丘高校定時制農業科で卒業式と閉科式、30年の歴史に幕
  1979年3月13日 網走商業活動調整協議会(商調協)がプラザノーキョウの大型店計画承認
  1979年3月14日 北海道知事選挙告示、堂垣内尚弘(64)、五十嵐広三(58)、坂本和(45)立候補届出
  1979年3月15日 網走漁協組合長に新谷泰造(66)就任
  1979年3月16日 嘉多山地区の集団電話が一般電話に切り替え
  1979年3月18日 豊栄中学校閉校式(昭和26年開校、第三中学校に統合)
  1979年3月23日 山里地区(山里、稲富、昭和、豊郷、中園)の集団電話が一般電話に切り替え
  1979年3月24日 南ヶ丘高校から国立大学に50人合格、過去最多
  1979年3月27日 北海道議会議員選挙告示、網走市部は小田部善治(38)、大場信吾(49)立候補届出
  1979年3月29日 濤沸湖開発促進期成会設立、会長安藤市長
  1979年3月30日 国際ソロプチミスト網走結成式、会長山内せつ
  1979年4月1日 網走少林寺拳法協会設立、会長石金正
  1979年4月3日 昭和53年度公害苦情取り扱い状況、23件で最多は悪臭7件
  1979年4月8日 北海道知事・道議選挙投票、翌日開票で知事は堂垣内尚弘三選、市部道議は小田部善治初当選
  1979年4月9日 気温上昇で各地増出水、車止内地区で25戸浸水、市は融雪災害対策本部設置
  1979年4月10日 市の敬老年金受給年齢77歳以上に拡大(これまでは80歳以上)
  1979年4月12日 網走市議会議員選挙告示、35名立候補届出
  1979年4月16日 暴走グループ北日本連合網走支部(通称「ハイエナ」)が網走警察署で解散宣言
  1979年4月20日 北見市の人口10万人突破、道内で9番目
  1979年4月21日 昭和53年度市内観光客入り込み160万2,924人(前年比0.3%減)
  1979年4月22日 網走市議会議員選挙投票日、投票率90.27%、23日開票で30人の当選者決まる
  1979年4月27日 網走川柳会発足、嶺岸保雄主幹
  1979年4月29日 春の叙勲発表、矯正業務功労で堀内仁平(63)、大倉政一(63)、中村春吉(63)、郵政功労で松本五三吉(62)が勲七等瑞宝章受賞
  1979年4月29日 ラジコンカーレース道大会で宇野忠義(15)が最優秀、日本選手権大会出場へ
  1979年5月1日 中央公園で第50回統一メーデー、31団体1,300人参加
  1979年5月4日 町内会は17団体増え114町内会(連合会加盟70団体)、部落会は30団体(同12団体)
  1979年5月9日 能取岬沖で韓国漁船が今年初の操業確認
  1979年5月12日 元号法公布
  1979年5月12日 総合体育館などでライオンズクラブ国際協会331-B地区第25回年次大会始まる
  1979年5月15日 市議会第2回臨時会開会、議長に鬼塚勝(64)、副議長八木禧幸(37)選任
  1979年5月23日 元網走商工会議所会頭、元市議会議員高田太郎(75)死去
  1979年5月24日 網走地方気象台がサクラの開花宣言
  1979年5月26日 卯原内二樹の会が西網走神社境内に設置した「オホーツクの鐘」の除幕式
  1979年5月31日 網走漁協前で韓国漁船排除総決起大会開く
  1979年6月2日 『網走市史』の編さん者、田中最勝(72)死去
  1979年6月3日 網走刑務所新講堂の改築工事竣工落成
  1979年6月4日 北網広域生活圏振興計画決まる
  1979年6月4日 網走市体育協会長で(株)三光社長の鴻巣雄三(67)死去
  1979年6月15日 東京の日本都市センターで東京網走会企業立地説明会開く
  1979年6月28日 東京サミット開幕
  1979年6月28日 公衆浴場の入浴料金値上げ、大人180円、中人95円、小人45円
  1979年7月1日 新しい天都山展望施設オープン、無料開放始める
  1979年7月4日 (株)網走振興公社設立、代表取締役安藤哲郎市長
  1979年7月4日 市民会館で第27回道東婦人大会開催(5日まで)
  1979年7月5日 交通公社の観光バス「ザ・ホッカイドウ号」網走~札幌間第1便出発
  1979年7月5日 市体育協会長に大林宏文選任
  1979年7月9日 網走小学校改築、一部教室完成
  1979年7月23日 市優良勤労青少年表彰、8人受賞
  1979年7月27日 市が「石油需給対策本部」設置
  1979年7月28日 第30回オロチョンの火祭り、モヨロ貝塚で慰霊祭、桂ヶ岡公園で本祭り
  1979年7月28日 全道高校弓道大会で南ヶ丘高校が優勝、全国大会出場へ
  1979年7月29日 丸万・実豊部落開基75周年、丸万小学校開校60周年記念式
  1979年7月29日 札幌交響楽団のグリーンコンサート開く(網走小学校グランド、指揮岩城宏之)
  1979年8月6日 網走小さな親切運動の会(伊藤保会長)が優良勤労青少年クラブとして労働大臣表彰
  1979年8月7日 網走駅前に観光客歓迎塔が完成
  1979年8月8日 第33回オホーツク夏祭り開幕
  1979年8月11日 島倉千代子ショー開催(市民会館)
  1979年8月12日 網走市書道連盟の第1回書道展開催(市民会館)
  1979年8月12日 市営鱒浦海水浴場閉鎖、期間中の利用2万3,210人、前半の低温たたる
  1979年8月14日 網走神社例大祭(16日まで)4条通りに露店240店並ぶ
  1979年8月15日 みこしかつぎの巡行30年ぶりに復活
  1979年8月16日 二ッ岩遺跡第3号住居跡で発掘調査始まる
  1979年8月17日 網走川柳社(嶺岸保雄主幹)が機関誌『天都山』創刊
  1979年8月17日 北見方面公安委員会委員長に林幸夫選任
  1979年8月19日 潮見11丁目うしお町内会の「うしお会館」落成
  1979年8月24日 スーパーみこう7店目の「フアミリーセンターみこう」開店(駒場)
  1979年8月25日 学校薬剤師会の調査で市内小中学校4校で飲料水に大腸菌見つかる
  1979年8月26日 市民会館で第29回都山流尺八楽会の全道演奏会開く
  1979年8月27日 能取漁港に沖合底引船7隻試験入港、シケた場合の不安出る
  1979年9月2日 網走青年会議所が駒場運動公園に「JCタイムカプセル20世紀号」埋設
  1979年9月2日 オホーツク水族館で中国産「褐馬鶏」受入式、同館のゴマフアザラシ3頭と交換
  1979年9月5日 北見・網走地域都市整備協議会設立総会
  1979年9月7日 衆議院解散、17日選挙告示、10月7日投票
  1979年9月8日 第16回さんご草まつり開幕(能取湖畔)
  1979年9月9日 高橋道雄画伯死去
  1979年9月9日 網走スピードスケート少年団が発足(結城佳三団長)
  1979年9月10日 市指定有形文化財に「網走神社絵馬」を指定
  1979年9月11日 市内ホテルで麺類環境衛生同業組合の東北・北海道ブロック大会開く
  1979年9月12日 網走信用金庫講演会「酒と人生」講師佐々木久子
  1979年9月14日 市民会館で第14回赤十字北海道大会開く、常陸宮華子妃殿下ご出席
  1979年9月15日 敬老の日、市内最高令者は田中とよ(97)
  1979年9月15日 市民大学講座、講師は芥川賞作家高橋揆一郎
  1979年9月15日 能取地区開基70周年記念事業で同神社境内にタイムカプセル埋設
  1979年9月18日 北浜の生ポテトパルプ堆肥プラントが本格操業始める
  1979年9月20日 (株)網走観光振興公社が天都山展望施設1階に「オホーツク流氷館」建設構想を発表
  1979年9月23日 市が潮見地区に造成した宅地の分譲受付始まる
  1979年9月24日 北浜のオホーツクカントリークラブが18ホールに拡張オープン
  1979年10月1日 南3西2にツカサビルが増築オープン
  1979年10月2日 市民会館で直木賞作家邱永漢講演会
  1979年10月3日 市民会館でベンチャーズ公演
  1979年10月4日 網走北方圏交流協会発足、会長大林宏文
  1979年10月6日 大型店舗「金市館」と「たからや」が同日オープン
  1979年10月6日 網走川左岸下水道中継ポンプ施設完成通水式
  1979年10月7日 第35回衆院選挙投票日、翌日開票で第5区は中川一郎、安田貴六、岡田利春、新村源雄、島田琢郎当選
  1979年10月7日 市民駅伝競走大会、20チーム参加、初の女子2チームが参加
  1979年10月10日 総合体育館前庭で国際児童年記念彫塑像「明日へ向って」除幕式(ライオンズクラブ寄贈)
  1979年10月13日 北海道市長会の欧州視察団団長として安藤市長が出発
  1979年10月13日 豊受五社稲荷大明神(通称「中川稲荷神社」)の新社殿落成
  1979年10月17日 市民会館で松山千春コンサート開く
  1979年10月20日 台風20号猛威、最大瞬間風速37.4メートルは気象台開設以来の記録、東藻琴の水源池に濁流、市内全域で断水
  1979年10月21日 南小学校で開校80周年記念式典挙行
  1979年10月23日 ポピュラーピアノのカーメン・キャバレロ公演(市民会館)
  1979年10月25日 米村喜男衛が東京作家クラブの「第15回文化人間賞」受賞
  1979年10月25日 網走専門店会が総合体育館で「ピンクレディー・オン・ステージ」開く
  1979年11月1日 市役所に消費者相談室開設
  1979年11月3日 秋の叙勲発表、理容業振興で佐貫静夫(75)が勲六等単光旭日章受章
  1979年11月3日 網走市文化賞贈呈式、藤田宗憲(85)が受賞
  1979年11月3日 網走市文化連盟芸術賞贈呈式、2個人1団体受賞
  1979年11月3日 中央公園で第5回カーニバルオホーツク収穫祭始まる(4日まで)
  1979年11月3日 駒場東町内会に会館完成落成式
  1979年11月5日 網走信用金庫本店でキャッシュカード・システム(現金自動引出機)稼働
  1979年11月7日 北光社ドライクリーニング工場が労働省の心身障害者雇用モデル工場に指定
  1979年11月8日 第2次大平内閣発足
  1979年11月12日 潮見の新設小学校の校名「潮見小学校」に決まる
  1979年11月14日 市技能功労者表彰、中山晴夫(61)、山田仁郎(56)、永田重男(57)、山田邦博(66)が受賞
  1979年11月19日 北海道労働金庫網走支店の店舗新築(南6東3)
  1979年11月18日 第1回東京国際女子マラソン大会に大室富恵選手(西網走農協)出場
  1979年11月28日 特定不況地域対策緊急融資状況まとまる、実行額431件35億4,800万円
  1979年11月30日 22日終漁した秋サケ漁は史上空前の豊漁、網走漁協104万1,985匹
  1979年12月1日 北海道網走総合庁舎(網走支庁・土木現業所・保健所)落成式(52年度着工、総工費22億3千万円)
  1979年12月4日 網走支庁管内53年度市町村決算状況、赤字は網走市だけ
  1979年12月4日 北方民族博物館建設促進期成会発足(会長中川富二三網商会頭)
  1979年12月5日 オホーツク地域地域問題研究会(代表植村敏網走支庁長)設立
  1979年12月9日 鱒浦郵便局の単独局舎新築落成式
  1979年12月13日 市は網走刑務所の改築に伴う現講堂、庁舎、舎房が58年度までに払下げられると発表
  1979年12月16日 藻琴郵便局舎落成式
  1979年12月20日 市営スキー場のリフトと夜間照明設備の建設完了
  1979年12月20日 能取岬灯台の改築工事完成(旧灯台と同型)し、灯台点灯
  1979年12月24日 南ヶ丘高校の2期工事完了、新校舎完成
  1979年12月25日 国の予算復活折衝で女満別空港のジェット化内定
昭和55年 1980年1月1日 市民会館で市民新年交礼会
  1980年1月4日 今年初のソ連木材船トボレス号入港
  1980年1月5日 市営スキー場は「レークビュースキー場」と命名、命名式と新設リフトの運転式
  1980年1月10日 常陸宮華子妃殿下が歌会始めで、昨年網走高校生徒が贈った桜にちなみ、「網走の子等のくれたるえぞ桜 今年の春は花咲くらむか」と詠む
  1980年1月10日 市立つくしケ丘児童センター落成式
  1980年1月12日 前日から行方不明の小学生3人が「たからや」店内で無事発見、閉店でシャッター降り閉じこめられる
  1980年1月15日 市民会館で成人式、新成人625人(男294人、女331人)
  1980年1月16日 網走漁協まとめの昨年の水揚げ7万5,700トン(前年比20.2%減)、95億31,056千円(12.8%増)
  1980年1月17日 札幌国税局発表の市内最高路線価、南4東1で1平方メートル7万6千円(前年比7%上昇)
  1980年1月17日 網走川に建設中の第3の橋の名称は、公募により「中央橋」に決まる
  1980年1月22日 網走地区交通安全協会石栗与吉会長が交通栄誉章緑十字金賞受賞
  1980年1月22日 ブラジル松柏学園生14名が初来網、一昨年から文通している網走小学校児童と交歓会開く
  1980年1月23日 網走地方気象台が「流氷初日」発表
  1980年1月27日 南農協地区の堆肥施設と太陽熱利用農作業準備休養施設(実豊・浦士別・音根内)落成式
  1980年1月28日 網走駅前にニポポ形の公衆電話2基設置、テープカットで開通式
  1980年1月30日 市議会第1回臨時会開会、国鉄釧網線立体化工事関連予算など可決
  1980年1月30日 実豊・浦士別地域集団電話が一般電話化
  1980年2月2日 市スポーツ表彰、3個人2団体が受賞
  1980年2月7日 網走北方圏交流協会などのオホーツク圏北欧視察団26人が出発、団長大林宏文
  1980年2月8日 トーフツ湖開発特別委員会がトーフツ湖調査概要公表
  1980年2月8日 第15回オホーツク流氷まつり開幕(11日まで)
  1980年2月10日 市民会館でボニージャックスの「オホーツクの海」発売記念コンサート開く
  1980年2月15日 市農業者年金協議会発足、会長鈴木新
  1980年2月16日 流氷接岸初日、寒波氷点下20℃
  1980年2月20日 網走警察署で暴走族「ブラック・キャット網走支部」が解散宣言
  1980年2月21日 昭和55年度網走市予算案発表、一般会計116億314万円、水道料金16.9%値上げ
  1980年2月25日 流氷塊(5トン)輸送隊が熊本に向け出発
  1980年2月25日 第2回市農業大学講座、東京農業大学公開講座始まる(婦人会館、27日まで)
  1980年2月29日 東京農業大学農場等誘致促進協議会設置(市、農業団体)
  1980年3月1日 三笠宮寛仁親王殿下ご来網記念講演会、2日オホーツク歩くスキーにご参加
  1980年3月8日 市特別職報酬等審議会が市長らの給料・報酬など引き上げ答申
  1980年3月10日 市議会第1回定例会始まる
  1980年3月13日 小・中学生らによる集団窃盗事件発覚、18人補導
  1980年3月16日 地域景観研究会が網走の施設など現地調査
  1980年3月22日 第29回全国水産加工たべもの展で長谷川水産の「つぶの飯寿し」が大阪府知事賞受賞
  1980年3月24日 道食糧事務所の組織再編で大曲に網走支所発足
  1980年3月29日 網走湖の氷穴ワカサギ釣り終わる、2,850人利用
  1980年4月1日 網走港が開港指定、釧路税関支署網走分室開設、道内9番目の国際貿易港となる
  1980年4月3日 市民会館で国際貿易港指定記念祝賀会開く
  1980年4月7日 市内各小学校で入学式、新1年生は814人
  1980年4月10日 総合体育館で新設の潮見小学校開校式
  1980年4月11日 市内の学校給食費1食当たり5円値上げ、165円となる
  1980年4月12日 通信制の酪農学園網走市短期大学農業学校の卒業式、一期限りで閉校
  1980年4月18日 市内の灯油価格値上がり、1リットル80円台に突入、ガソリンは同160円台に
  1980年4月20日 漁業関係者の中国訪問団(新谷泰造団長)が出発
  1980年4月20日 市内に卓上型公衆電話(黄電話)26台お目見え
  1980年4月24日 潮見に青沼医院開院(青沼美隆院長)
  1980年4月25日 車止内川の河川トンネル切り替え工事竣工、通水式、昭47年度着工
  1980年4月25日 天都山展望台落成式・オホーツク流氷館開館式
  1980年4月27日 市営野球場に管理棟完成
  1980年4月29日 春の叙勲発表、地方自治功労で酒井儀一郎(71)が勲四等瑞宝章受章
  1980年5月2日 網走地方気象台は今年の流氷終日は4月20日だったと発表
  1980年5月5日 網走漁協調査船「若汐丸」(11.51 トン)の進水式
  1980年5月16日 大曲に北海道食糧事務所網走支所新庁舎落成
  1980年5月19日 ソ連木材輸出入公団日本通商代表部長代理キリヤエフ、バブスキン両氏来網
  1980年5月21日 東亜国内航空(TDA)の女満別~羽田直行便開設
  1980年5月27日 知床~網走沖などでニッポンオフショア石油(株)の海底油田試掘始まる
  1980年5月27日 南ヶ丘高校で道内初のLL(語学訓練教室)授業始まる
  1980年5月28日 財団法人・網走監獄保存財団の設立を道が認可
  1980年5月30日 第12回参議院議員選挙公示
  1980年6月1日 市の水道料金値上げ、家事用基本料金760円、超過80円
  1980年6月1日 呼人の野外趣味活動施設「レストハウス」が休業
  1980年6月2日 第36回衆議院議員選挙公示
  1980年6月6日 市民会館で第5回札響網走演奏会開く、指揮小林研一郎、ピアノ江戸京子
  1980年6月7日 浦士別小中学校の交通公園開園式
  1980年6月8日 昨年度市観光客入り込み、161万5,362人(前年度比0.2%増)
  1980年6月9日 市内の公衆浴場入浴料金大人190円が220円に値上げ
  1980年6月10日 市立美術館で高橋道雄(網走市出身)遺作展
  1980年6月12日 虎ノ門病院に入院中の大平正芳首相死去、70歳
  1980年6月16日 網走厚生総合病院に小児科医師交替常勤となる(8年ぶり)
  1980年6月17日 昭和64年冬期国体で網走市がスケート種目開催候補地として名乗りをあげることを市体協理事会が決定
  1980年6月20日 網走駅前の網走館跡に「網走クラウンホテル」開業
  1980年6月23日 衆・参同日選挙投票、翌日開票結果5区で中川一郎、安田貴六、岡田利春、北村義和、島田琢郎当選
  1980年6月30日 嘉多山部落開基80周年、嘉多山小学校校舎落成・開校60周年、嘉多山中学校開校30周年記念式典挙行
  1980年7月1日 天都山桜公園で常陸宮妃殿下の記念歌碑除幕式
  1980年7月1日 網走~阿寒経由~釧路間定期観光バスの運行始まる
  1980年7月2日 網走市観光協会長に仙石清氏就任、副会長5人制となる
  1980年7月6日 総合体育館などで第29回日本青年会議所北海道地区大会始まる
  1980年7月7日 能取漁港開港式挙行、一部供用開始で地元27隻が初入港
  1980年7月7日 産地中小企業対策臨時措置法の地域指定で網走市指定
  1980年7月15日 全道美容技術選手権大会で山下美容室の木田恭子(ジュニアの部)と道田礼子(オープンの部)が優勝
  1980年7月17日 鈴木善幸内閣発足
  1980年7月24日 韓国貨物船「ドンヤン号」セメントを積み韓国船として初入港
  1980年7月24日 市優良勤労青少年表彰式、7名が受賞
  1980年7月26日 網走漁業海区調整委員選挙、無投票当選決まる
  1980年7月26日 桂ヶ岡公園で第31回オロチョンの火祭り
  1980年7月26日 管外船2隻(釧路)能取漁港に初入港、29日までに延べ11隻入港
  1980年7月26日 市内経済団体等がまるせん会館で藤原弘達政経講演会開く
  1980年7月26日 呼人市営スキー場にキャンプ場「レークビュー」開設
  1980年7月27日 国道39号大曲T字交差点で網走運転者部会設立25周年記念「交通安全塔」の除幕式
  1980年7月29日 亜細亜友之会が主催するアジア10ヶ国留学生20人来網
  1980年8月3日 市民会館で結成5年目の網走吹奏楽団が第1回定期演奏会開く
  1980年8月3日 呼人のレストハウスで温水プールのみ開業
  1980年8月6日 網走バス(株)と網走交通のバス料金値上げ、初乗り70円が80円に
  1980年8月7日 社団法人網走地区交通安全協会網走自動車学校が潮見に移転落成式
  1980年8月8日 網走商港に北転船5年ぶりに2隻入港、スケトウダラ荷揚げ、すりみ加工業者一息つく
  1980年8月8日 網走商工会議所など7団体が新設「中央橋」を「白鳥橋」に名称変更を申し入れるも市は変更せず
  1980年8月8日 市民会館で日本大学吹奏楽研究会演奏会開く、市中パレードも
  1980年8月9日 第34回網走オホーツク夏祭り開幕
  1980年8月9日 商港使用不能のため花火大会は今年に限り能取漁港で開く
  1980年8月11日 オホーツク夏まつりで初の「流氷みこし合戦」
  1980年8月14日 富士山で落石事故発生、死者12人重軽傷者29人
  1980年8月14日 市は、昭和64年国体スケート競技誘致の申請書を道に提出
  1980年8月14日 網走神社例大祭、南4条通りに露店244店出店、中央公園にお化け屋敷小屋掛け
  1980年8月15日 神輿行列に奴っこさん復活
  1980年8月15日 市民会館でアイ・ジョージ「北緯43度のバラード・コンサート」開く、『網走の夜』発表
  1980年8月16日 静岡駅前の地下街でガス爆発死者14 人、重軽傷者約200人
  1980年8月20日 市民会館で金沢明子ショー開く
  1980年8月24日 網走川の鏡橋たもとで網走刑務所の恒例「地蔵尊祭」と灯籠流し
  1980年8月25日 中国駐日大使館員3名来網
  1980年8月25日 今年の鱒浦海水浴場の遊泳可能日数12日、利用者7,380人でともに過去最低
  1980年8月29日 市水道給水区域内の普及率99.4%に達する
  1980年9月2日 8月の平均気温15.1℃で気象台開設90年来の最低記録
  1980年9月5日 市民会館で文化庁こども芸術劇場の東京混声合唱団公演
  1980年9月5日 北見・網走地域都市整備協議会総会開く、両市の機能分担など将来像さぐる
  1980年9月6日 呼人野外趣味活動施設(レストハウス)再開
  1980年9月10日 市内ホテルで第18回全北見写真師大会、写真家立木利治が講演
  1980年9月13日 卯原内で第17回能取湖さんご草まつり開幕
  1980年9月13日 美岬遺跡(仮称)の第1次発掘調査始まる(13~23日まで)
  1980年9月14日 網走高校で北海道高等学校弓道新人選手権大会開催、男子団体で南ヶ丘高校優勝
  1980年9月15日 市民会館で敬老会、市内の70歳以上の高齢者1,952人、最高令者田中とよ(98)
  1980年9月18日 中央橋開通式、中園の立石甚九郎(82)夫妻ら一家三代の渡橋式、網走漁協と島田建設から寄贈された白鳥像(朝翔・夕翔)の除幕式挙行
  1980年9月23日 第26回NHK北見~網走駅伝競走大会開く
  1980年9月25日 市議会第3回定例会開会、二ツ岩をトンネル化し裏手にレクリエーション施設計画発表
  1980年9月25日 国道334号知床横断道路(斜里町宇登呂~羅臼間27.3km)開通式
  1980年9月28日 観光地めぐり市民駅伝競走大会が、網走新聞社杯市民駅伝競走大会に衣替えして市役所前スタート
  1980年9月29日 網走管内の冷害による農作物被害状況発表、網走市は239戸2,543ヘクタール、被害額2億3,154万円
  1980年9月30日 婦人団体などが市に合成洗剤の使用中止を申し入れ
  1980年10月1日 第13回国勢調査始まる
  1980年10月1日 国鉄の冬ダイヤ大幅改正、網走駅発着急行4本が廃止
  1980年10月5日 浦士別で開拓70年記念碑と集落センターの落成式
  1980年10月7日 7月開港の能取漁港に管外の大型サンマ船団70隻入港、サンマ80トン水揚げ
  1980年10月7日 市営陸上競技場で市内初の第1回ゲートボール競技大会開く
  1980年10月15日 能取・平和地区一般電話に切替、網走電報電話局管内は全部一般電話となる
  1980年10月17日 網走市格技武道振興会発足(会長有里伸一)
  1980年10月23日 総合体育館で全日本プロレスの興業
  1980年10月24日 新女満別空港を三種空港として指定するための政令改正が閣議で決定
  1980年10月25日 中央公園で第6回カーニバル・オホーツク、第27回網走菊まつりが同時開催
  1980年10月28日 網走港北防波堤灯台(赤灯台)建て替え工事完成、新赤灯台が日没に点灯
  1980年11月1日 網走高校に北方領土クラブ誕生
  1980年11月2日 網走バス(株)が道内初の中型バス3台導入、郊外路線で運行始まる
  1980年11月2日 第12回日展に市出身河田卓の塑像「婦人像」が入選
  1980年11月3日 秋の叙勲、金融功労で木下象一(74)が勲五等瑞宝章、矯正業務功労で小田切弥一(63)が勲七等瑞宝章受章
  1980年11月3日 網走市文化賞贈呈式、内田茂雄(72)受賞
  1980年11月3日 市文化連盟芸術賞授賞式、1個人2団体が受賞
  1980年11月4日 在札幌ソ連ルードネフ総領事来網
  1980年11月5日 アメリカ第40代大統領にレーガンが当選
  1980年11月6日 網走商港内旧船入澗の西側防潮堤に太陽電池のミニ灯台点灯
  1980年11月9日 網走市青年学園第1回学園祭開く(勤労青少年ホーム)
  1980年11月9日 天都山展望台オホーツク流氷館今季営業終わる、入館者11万6,699人
  1980年11月10日 市技能功労者表彰、渡辺正吾(54)、富永一彦(55)、沢田ヒサ子(64)、三浦昭二(53)が受賞
  1980年11月14日 網走信用金庫創立55周年記念講演会開く、講師は評論家石垣綾子
  1980年11月14日 向陽ヶ丘で母子家庭の住宅火災、母親不在で幼児2人焼死
  1980年11月15日 市内最後の料亭「割烹たちばな」(塩森哲雄代表)が廃業(昭和23年12月開業)
  1980年11月16日 市は市内に「道立北方圏民族文化博物館」の建設構想発表
  1980年11月19日 市内で試験栽培したブドウで網走ワイン試作
  1980年11月20日 国勢調査の市内人口概数発表、4万4,777人(前回比952人、同2.2%増)
  1980年11月21日 女満別町開基90年、開町60年記念式典挙行
  1980年11月22日 東藻琴村で役場庁舎など三施設の落成式
  1980年11月25日 網走信用金庫13番目の東支店の営業始まる
  1980年11月29日 市日中友好促進協議会がオホーツク劇場で中国映画『桜』上映
  1980年12月2日 網走支庁は管内の54年度市町村決算概況公表、網走市のみ実質収支赤字1億7,100 万円
  1980年12月3日 消防本部隣に消防訓練塔が完成、落成式
  1980年12月4日 北浜の涛沸湖畔に白鳥公園が竣工
  1980年12月9日 市優良店舗表彰式、フジヤ書店、べに屋、サンショップなかい、島野仏具店が受賞
  1980年12月10日 網走、紋別の8社で網走マリンビーフ協同組合設立(代表安本昭海)
  1980年12月10日 新設潮見小学校の校歌(吉阪市造作詞)と校章(古屋勲デザイン)が決まる
  1980年12月10日 婦人会館で市婦人団体連絡協議会が第1回婦連協まつり開く
  1980年12月10日 南3西2に第3ツカサビル落成
  1980年12月13日 遺族から市に寄贈された故居串佳一画伯の遺作素描414点が報道関係者に公開
  1980年12月14日 総合体育館で体操教室開く、講師はオリンピック金メダリスト遠藤幸雄
  1980年12月20日 潮見小学校の第2期工事(屋体、特別教室)完成
  1980年12月29日 市内最高齢者田中とよ(98)死去
昭和56年 1981年1月6日 年明け第1船のソ連貨物船「ニコライ・プシニヤック号」入港し木材荷揚げ、
  1981年1月9日 桂町旧NHK網走放送所独身寮を改装し北大大学院環境科学研究所の網走分室開設
  1981年1月11日 網走警察署管内昨年の交通事故、発生191件、死者4人
  1981年1月15日 成人の日、市民会館で成人式、市内の新成人は607人
  1981年1月16日 昭和55年網走漁協の水揚げ、総量82,062トン(前年比8%増)、金額92億2,336万円(同0.3%減)
  1981年1月18日 網走地区消防組合管内の昨年の火災42件発生
  1981年1月18日 網走地方気象台は流氷初日と発表
  1981年1月20日 郵便料金値上げ、封書60円(旧50円)、はがき30円(旧20円、4月から40円)
  1981年1月24日 昭和64年国体誘致を目指し、網走アイスホッケー協会設立(会長早水憲)
  1981年1月25日 カナダのカーリング指導者W・ウースリアック来網、市内初のカーリング試合開く(裁判所対常呂選抜)
  1981年2月7日 第1回北方領土の日、網走高校で「北方領土の集い」元島民石野栄次郎さんが講演
  1981年2月7日 第16回あばしりオホーツク流氷まつり開幕(11日まで)
  1981年2月8日 市内初のカーリング大会「第1回オホーツクブルーム」開く、8チーム参加(総合体育館特設リンク)
  1981年2月11日 第12回道アンサンブルコンクールで南ヶ丘高校が最優秀、全国大会へ
  1981年2月13日 中国駐札幌総領事館の陳坑総領事来網
  1981年2月13日 流氷塊4個計16トンを鹿児島まで海路輸送、釧路へ向け出発
  1981年2月15日 第1回市小学生スピードスケート競技大会開く
  1981年2月16日 名誉市民米村喜男衛(88)死去、19日大盛寺で市民葬執行
  1981年2月16日 NHK特集「探訪・網走刑務所」放映
  1981年2月21日 市スポーツ賞表彰、7名受賞
  1981年2月21日 網走カーリング協会設立(会長北原実)
  1981年2月24日 市は新年度予算案発表、一般会計124億46,525千円(前年度比7.3%増)
  1981年2月25日 網走青葉会(宮城県人会)が『網走青葉会史』発刊
  1981年3月9日 網走商工会議所商業活動調整協議会が(有)太田家具店の店舗増改築を承認
  1981年3月10日 堀新助駐道特命全権大使来網、市内視察
  1981年3月15日 市内最後の暴走族グループ「闘臣会」が網走警察署で解散式
  1981年3月16日 網走地方で吹雪、最大瞬間風速26.1メートル、市内小・中24校臨時休校
  1981年3月19日 市民会館で「グラシェラ・スサーナ来日10回記念コンサート」開く
  1981年3月24日 市老人クラブ連合会総会、敬老会を14日に変更するよう市に申入れ決める
  1981年3月27日 市内10水産会社で水産加工排水処理管理協議会発足、会長志賀泰次
  1981年3月28日 市民会館で少年消防クラブ4団体と婦人防火クラブ2団体が結成式
  1981年3月30日 雪印乳業網走工場の7月31日閉鎖が正式に決まる
  1981年4月1日 電報の受付が北見電報電話局に集約、網走局90年余の電報業務にピリオド
  1981年4月1日 網走高校が中心となって運営してきた網走福祉寿大学と清風大学院が市福祉センターに移管
  1981年4月4日 社会福祉法人網走愛育会が潮見保育園を開園
  1981年4月5日 市立准看護学院が市立看護高等専修学校に改称、入学式挙行
  1981年4月6日 市内小学校入学式、新入学児童は801人
  1981年4月9日 女満別高校の道立移管記念式挙行
  1981年4月11日 市内小・中校の学校給食費5円値上げで170円となる
  1981年4月18日 元網走小学校長小林金太郎(93)死去、20日法龍寺で市民葬
  1981年4月25日 堂垣内知事四選不出馬表明
  1981年4月25日 東亜国内航空女満別~羽田線で週3往復(火、木、金)に増便
  1981年4月28日 北方民族博物館誘致に向け市に建設準備室開設、室長は宮部英生教育長兼務
  1981年4月28日 南3西1網走最大のキャバレー「アカネ」廃業
  1981年4月29日 春の叙勲発表、教育功労で小島一光(83)が勲五等瑞宝章、港湾業務功労で川瀬茂(64)、矯正業務功労で大高嘉雄(63)が勲七等瑞宝章受章
  1981年4月30日 海明け後初のソ連貨物船入港
  1981年5月2日 総合体育館で入港中のソ連船乗組員と市役所バレーボールチームが親善試合
  1981年5月6日 南5西1中央マーケット内から出火、4店舗全焼
  1981年5月12日 市民会館でレイ・ブライアントのジャズピアノコンサート開く
  1981年5月14日 網走地方気象台がサクラの開花宣言
  1981年5月17日 新町に網走パレスボウル開業、ボウリング場再開は7年ぶり
  1981年5月17日 日本警察犬東北・北海道審査会で、藻琴の忠鉢政司飼育のシェパード犬がチャンピオンに輝く
  1981年5月26日 みぞれ混じりの暴風、最大瞬間風速29.7メートル、道道網走公園線の能取岬から湖口まで通行止め
  1981年5月27日 網走保健所管内で風しん蔓延の兆し、罹患者すでに453人
  1981. 5. - 南6東3網走神社参道の大鳥居に銅板を巻く改修工事終了
  1981年6月1日 八坂の市営ゴミ破砕処理施設が民間委託で運転始まる
  1981年6月6日 国家公務員定年法成立
  1981年6月11日 市の第2次地籍調査、浦士別・清浦地区で始まる
  1981年6月15日 常呂町長選挙、前助役斉藤秀信(59)が無投票当選
  1981年6月15日 呼人野外趣味活動施設レストハウスの委託業者決まり営業再開
  1981年6月16日 東亜国内航空女満別~羽田線毎日2往復に増便
  1981年6月18日 北見・網走地域都市整備基本計画発表、都市機能分担など決まる
  1981年6月22日 市内の公衆浴場入浴料10円値上げ、230円になる
  1981年6月23日 市民会館で松山千春コンサート開く、1,300人が詰めかける
  1981年6月25日 市観光協会が観光情報のテレホンサービス始める、全道で2番目
  1981年6月27日 市民会館で開かれた北海道博物館大会で北方圏民族文化博物館の網走市設置を決議
  1981年6月28日 第1回網走国定公園天都山まつり開催
  1981年6月28日 堀新助駐道全権大使来網
  1981年6月28日 網走湖でインターハイ道予選、男子シェルフォアで南ヶ丘、男子シングルスカルで渡辺伸幸(南ヶ丘)、女子シングルスカル林志織(向陽)が優勝、全国大会へ
  1981年6月28日 俳優鶴田浩二が網走刑務所受刑者を慰問
  1981年6月29日 市教育委員会教育委員長に新谷哲三就任
  1981年7月1日 市社会福祉協議会長に高松菊男選任
  1981年7月2日 市が計画する二ツ岩レクリエーション施設のトンネル工事、漁民の反対で着工見送り
  1981年7月8日 市農業委員会選挙、無投票で15人の当選決まる
  1981年7月20日 市優良勤労青少年表彰式、7人が受賞
  1981年7月22日 東京農業大学の実習生31人が南農協地区で農業実習
  1981年7月25日 西網走、南網走、中央農協に小麦のバラ積みサイロ完成
  1981年7月26日 桂ヶ岡公園でオロチョンの火祭り
  1981年7月31日 雪印乳業網走工場閉鎖、46年間の歴史に幕
  1981年8月7日 美岬第2遺跡の発掘調査終わる、続縄文期の住居跡確認
  1981年8月8日 第35回オホーツク夏まつり開幕、商港で花火大会、道内初の2尺玉打ち上げ
  1981年8月16日 市民会館でヤング・フェステバル「ライブ・イン・あばしり」開く
  1981年8月17日 桂町旧NHK網走放送所を改修して網走セミナーハウス開所
  1981年8月22日 台湾航空機空中爆発日本人乗客18人を含む110人死亡
  1981年8月23日 台風15号の余波で市内に強風吹き荒れる、藻琴小中・二中の屋根飛ぶ
  1981年8月25日 台風15号の被害広がる、網走支庁管内の農業被害2,900ヘクタールに及ぶ
  1981年8月27日 稲富地区の温泉ボーリング、55℃の食塩泉が湧出
  1981年8月27日 市内小中高生音楽グループ「リトル・リトル」がエレクトーン全道大会でグランプリ獲得
  1981年8月31日 大正元年創業の演芸館の後を継いだ歌舞伎座が廃業、70年の歴史に幕
  1981年8月31日 網走湖畔の呼人半島に探鳥遊歩道できる
  1981年9月1日 北浜の新設網走地区澱粉工場で試験操業始まる、本操業は7日から
  1981年9月3日 ジェット化に向け新女満別空港工事安全祈願祭、60年完成予定
  1981年9月6日 鉄南地区町内会連合会の集会所「鉄南会館」落成
  1981年9月7日 網走信用金庫釧路北支店開業
  1981年9月8日 札幌で開かれたヘアスタイルコンテスト北海道大会ジュニアの部で谷よしみ(20)が優勝
  1981年9月9日 東京農業大学西郷理事長が来網、安藤哲郎市長と会談
  1981年9月11日 市民会館で札幌交響楽団が中学生のためのコンサートと第6回定期演奏会開く
  1981年9月11日 能取湖畔で第18回サンゴ草まつり開幕(15日まで)
  1981年9月14日 市民会館で敬老会、70歳以上の高齢者2,012人、市内最高齢者叶マン(98)
  1981年9月17日 網走信用金庫文化講演会、講師は犬養智子
  1981年9月21日 終戦時、網走に駐屯司令部があった旧陸軍暁6151部隊の生存者が網走護国神社境内に慰霊碑建立除幕式
  1981年9月23日 NHK網走~北見間駅伝競走大会、85チーム参加
  1981年9月29日 道婦人行動計画網走地域推進協議会設立、会長松本ウタ(網走婦連協)
  1981年9月30日 市民会館で東京フイルハーモニー交響楽団演奏会(文化庁移動芸術祭巡回公演)
  1981年10月1日 国鉄石勝線開業、国鉄ダイヤ改正で網走~札幌間に特急2本新設
  1981年10月2日 電気料金平均18%値上げ
  1981年10月3日 市立図書館所蔵の大正時代の演劇雑誌『劇団』第3号が国内で初確認の本と判明
  1981年10月4日 市民駅伝競走大会開く、18チーム参加
  1981年10月4日 全国更生保護婦人連盟島津久子会長を迎え第12回道東地方更生保護婦人の集い開く(ビューパーク)
  1981年10月4日 鱒浦稲荷神社の改築工事竣工落成式、市指定文化財の絵馬保存もひと安心
  1981年10月7日 網走信用組合創立15周年、本店増築記念で母子像「あけぼの」(円鍔勝三制作)除幕式
  1981年10月14日 網走市第3期総合計画審議会が3部会構成で審議始まる
  1981年10月16日 北炭夕張新鉱でガス突出事故発生、93人犠牲
  1981年10月17日 ユニオン食品の学校給食パンが審査会で最高位獲得
  1981年10月17日 市立看護高等専修学校で第1回戴帽式
  1981年10月20日 網走市桜保存会設立、会長田村直美
  1981年10月20日 市は交通事故死ストップ緊急市民集会開く、交通事故非常事態を宣言(前年3倍の9人死亡)
  1981年10月24日 中央公園で第7回カーニバルオホーツク開く
  1981年10月27日 東京新宿京王プラザホテルで東京網走会開く
  1981年10月28日 稚内~網走~釧路を結ぶ「オホーツク本線建設促進期成会」結成、会長金田紋別市長
  1981年10月29日 婦人会館内に「おもちゃライブラリー」開館
  1981年10月30日 市内小中学校で用務員未配置校の学校暖房灯油化完了
  1981年11月3日 秋の叙勲発表、郵便業務功労で野長瀬正次(74)が勲七等瑞宝章受章
  1981年11月3日 網走市文化賞の授賞式、松本ウタ(69)受賞
  1981年11月3日 市文化連盟の網走芸術賞贈呈式、3個人1団体が受賞
  1981年11月10日 オホーツク流氷館今季の営業終わる、入館者105,915人で前年比9.2%減
  1981年11月10日 市技能功労者表彰、塩川隆一(60)、蒲生六次郎(62)、船橋紋次郎(51)、本間義男(61)、河端武光(57)、木村勝彦(77)が受賞
  1981年11月16日 網走信用組合の本店新店舗がオープン
  1981年11月25日 網走小学校、南小学校の屋内体育館完成
  1981年11月27日 行革特別法成立
  1981年11月28日 南5東1に市内初の本格的な店舗住宅「サニーハイツ」お目見え
  1981年11月29日 浦士別郵便局新築落成式
  1981年11月30日 鈴木善幸改造内閣発足
  1981年11月30日 網走パレスボウルに女子プロの須田開代子ら来場
  1981年12月1日 市内でポケットベルサービス始まる
  1981年12月4日 オホーツク海域東部のサケ漁終わる、網走は713,237匹(前年比95.1%増)
  1981年12月6日 旭川で開かれた全道ボウリング選手権大会のダブルスで三浦克仁・佐々木伸一組優勝
  1981年12月13日 市内ハイヤーの初乗り料金350円となる
  1981年12月17日 網走監獄保存財団で網走刑務所移築第1号となる旧教悔堂(講堂)の地鎮祭執行
  1981年12月24日 たくぎんにミニフアックス入る、市内で第1号
昭和57年 1982年1月12日 市立潮見児童センター開所式、市内4番目
  1982年1月13日 (株)田辺本店が釧路地裁網走支部に和議申請、大正6年創業
  1982年1月14日 北4西4の旧武道館跡に市勤労者体育センター完成開館式
  1982年1月15日 市民会館で成人式、市内の新成人559人
  1982年1月22日 網走自動車学校が公安委員会の指定教習所となる
  1982年1月23日 流氷まつりのメイン像に使用する網走湖の天然氷が切り出される(8年ぶり)
  1982年1月29日 市議会臨時会、地元漁民などの理解が得られず、二ツ岩レクリエーション施設整備事業予算を減額補正
  1982年2月8日 東京のホテルニュージャパン火災、24人死亡30人重軽傷
  1982年2月9日 羽田沖に日航機墜落、着水時12人死亡、147人重軽傷
  1982年2月11日 第17回オホーツク流氷まつり開幕、14日まで
  1982年2月11日 市観光協会が網走沖で採取した流氷を商品化、「流氷ボックス」(2キロ)売り出す
  1982年2月16日 米村喜男衛著、復刻版『北見郷土史話』発刊
  1982年2月18日 市は新年度予算案発表、一般会計129億8,795万円
  1982年2月21日 網走小学校開校60周年、校舎改築記念式挙行
  1982年3月3日 市優良店舗表彰式、サンショップおおしだが受賞
  1982年3月3日 網走沖で採取した流氷塊を大阪へ輸送、心斎橋でPR展示
  1982年3月19日 網走漁協にホタテ研究所開設
  1982年3月21日 元網走商工会議所会頭田辺正英(61)死去
  1982年4月1日 500円硬貨新登場
  1982年4月5日 三井造船の砕氷船「おほーつく」(35トン)が能取湖で性能試験実施
  1982年4月7日 道内で夏並みの異常気温、市内22.4℃
  1982年4月8日 網走湖女満別湖畔でコウノトリ飛来、写真撮影に成功
  1982年4月18日 帯広市長選挙投開票、田本憲吾3選
  1982年4月25日 南4東1マスヤ書店裏の車庫から出火、隣家に延焼5世帯21人被災
  1982年4月26日 環境庁は全国主要湖沼の調査結果発表、網走湖は富栄養化進む
  1982年4月27日 商港に今年初の外国船、ソ連から北洋材を積んだパナマ船籍貨物船入港
  1982年4月28日 春の褒章発表、消防功績で田辺林蔵(66)が藍綬褒章受章
  1982年5月1日 車止内川(通称「大下水」)の埋立地に市民待望の公園「西三プラザ」が完成開園式
  1982年5月3日 ウイルタ協会が天都山中腹にウイルタ・ニブヒの戦没者慰霊碑「静眠」建立除幕式
  1982年5月9日 網走市商店街近代化推進協議会発足(西村栄会長)
  1982年5月15日 第1回天都山さくら祭り開幕
  1982年5月17日 9年ぶりに都市計画用途地域が変更
  1982年5月29日 網走専門店会新理事長に小池昭二就任
  1982年5月31日 音根内地区に東京農業大学豆類系統品種選抜農場開設、試験用豆類30品種を播種
  1982年6月1日 釧路地裁網走支部は(株)田辺本店の和議申請を棄却
  1982年6月1日 能取地区に常呂町の廃棄物処理センターが完成操業始める
  1982年6月6日 市民会館で網走青年会議所創立30周年記念式典挙行
  1982年6月11日 総合体育館などで第34回北海道消防大会開く
  1982年6月12日 札幌で'82北海道博覧会開幕
  1982年6月17日 居串佳一画伯が原画を描いた「観光網走」ポスターが美幌町民から市立美術館に寄贈
  1982年6月24日 昭和56年度市観光客入込み状況、総数158万0,794人(前年比1.0%減)、宿泊39万6,310人(1.0%増)
  1982年6月25日 市営陸上競技場で全道高校陸上競技大会開催(27日まで)
  1982年6月28日 札幌・茨戸で開かれた全道高校体育漕艇競技女子ナックルフォアで向陽高優勝
  1982年6月29日 釧路地裁網走支部は(株)田辺本店を破産者とする旨の決定を行う
  1982年7月1日 網走港が検疫港に指定、市民会館で小樽検疫所網走出張所開所式
  1982年7月8日 連日の高気温で水道使用が激増。広報車で節水呼びかけ
  1982年7月9日 西三プラザにヨーロッパ調の電話ボックスお目見え
  1982年7月11日 まちづくりグループ「青の会」が計画した釧路道路擁壁のパノラマ壁画完成除幕式
  1982年7月15日 市など関係団体が網走湖に漕艇場をつくるなど64国体ボート競技の網走誘致を確認
  1982年7月17日 雄武町~斜里町を2日間で走る第1回目の'82インターナショナル・オホーツクサイクリング開幕
  1982年7月20日 オッタートロールに切り替えた沖合底引船3隻がサハリンタライカ湾での操業を終え帰港、373トン水揚げ
  1982年7月24日 市と網走商工会議所が第1回網走工業セミナー開く、講師志村幸雄
  1982年7月24日 桂ヶ岡公園を主会場にオロチョンの火祭り
  1982年7月26日 安藤哲郎市長が3選出馬表明
  1982年7月27日 市優良勤労青少年表彰式、7名受賞
  1982年7月28日 総合体育館などで第37回道教職員体育大会始まる
  1982年7月31日 市立郷土博物館による明治地区第1遺跡の発掘調査始まる
  1982年7月31日 桂町セミナーハウスで北大大学院環境科学研究科開放講座始まる
  1982年8月1日 駒場地区に住居表示施行
  1982年8月7日 南4東2北海道相互銀行網走支店が撤退(開業28年)、北見支店に統合
  1982年8月7日 第36回あばしりオホーツク夏まつり開幕、南4条通りで歩行者天国、商港で花火大会
  1982年8月8日 市営海水浴場閉鎖、可泳10日、12,991人で史上最少記録
  1982年8月9日 網走湖にアオコ発生
  1982年8月11日 市民会館で海上自衛隊大湊音楽隊演奏会開く
  1982年8月13日 網走港に海上自衛隊護衛艦2隻寄港、一般公開
  1982年8月14日 網走神社例大祭(16日まで)、南4条通りの露店は320区画
  1982年8月15日 市民会館で「インド魔術団マジックショー」開く
  1982年8月16日 市民会館で「内山田洋とクールファイブショー」開く
  1982年8月19日 市内の民家から昭和初期発行の観光パンフレット『網走名勝案内』見つかる
  1982年8月21日 国道238号大曲橋~鏡橋間の網走川右岸にサイクリングロード完成(53年着工)
  1982年8月23日 北見東急百貨店開業
  1982年8月24日 道商工会連合会網走支所開所式、初代支所長吉田博茂
  1982年8月24日 網走刑務所の地蔵尊供養祭で灯ろう流し
  1982年8月25日 網走水泳協会発足、会長に有里伸一選任
  1982年9月1日 北方圏民族文化博物館の建設を目指し「北方文化を考えるシンポジウム」を開く
  1982年9月4日 日本ハム系列の北海ミートが豊郷地区に大規模養豚センターの建設計画発表
  1982年9月5日 向陽高校創立60周年記念式
  1982年9月5日 道弓道選手権大会高校女子の部で網走高校平岡礼子優勝(帯広市)
  1982年9月10日 岡田駐道大使来網、市内ホテルで講演会開く
  1982年9月11日 卯原内能取湖畔で第19回さんご草祭り
  1982年9月14日 市民会館で敬老会、市内最高齢者叶マン(99)
  1982年9月14日 網走叢書第1集『網走の碑』発刊
  1982年9月17日 オホーツク・アカデミア構想の具体化に向け「オホーツク・シンポジウム」開く
  1982年9月19日 南ヶ丘高校創立60周年記念式
  1982年9月23日 第28回NHK北見~網走間駅伝競走大会高校の部で南ヶ丘高校初優勝
  1982年9月26日 市民駅伝競走大会開く
  1982年9月28日 第26回全道高校新聞コンクールA部門で向陽高校が初の総合賞
  1982年9月30日 南5・6条通りの電話ケーブルを地下配線化、市内初の工事進む
  1982年10月5日 市内国鉄釧網線高架工事、南6西4の現地で起工式。
  1982年10月6日 国鉄石北線札幌~網走間の特急オホーツク号に新型車輌
  1982年10月8日 網走湖呼人漁港が第1種漁港に指定される
  1982年10月10日 札幌で開かれた道吹奏楽団体コンクールで網走吹奏楽団が金賞獲得
  1982年10月10日 網走湖でオープンヨットレース開く
  1982年10月12日 鈴木善幸首相退陣表明
  1982年10月16日 網走監獄保存財団が博物館網走監獄敷地内に建設する資料館などの第2期工事の起工式
  1982年10月19日 第2回債権者集会で(株)田辺本店の強制和議否決
  1982年10月23日 中央公園でカーニバル・オホーツク開幕
  1982年10月26日 網走漁協は市が計画する「濃密漁場建設構想」の二ッ岩トンネル掘削に不同意決める
  1982年10月27日 オホーツク本線建設促進期成会が網走~稚内(雄武~枝幸間はバス)を体験乗車
  1982年10月28日 網走市長選挙告示、安藤哲郎、まいたに道保立候補届出
  1982年11月3日 秋の叙勲発表、消防功労で木村福造(63)が勲六等瑞宝章、矯正業務功労で佐々木俊雄(63)が勲七等旭日章、足立 盛(63)が勲七等瑞宝章受章
  1982年11月3日 網走市文化賞贈呈式、氏家耕(60)が受賞
  1982年11月3日 市文化連盟の網走芸術賞贈呈、3個人2団体が受賞
  1982年11月6日 商港第2埠頭に(財)製粉振興会の小麦船積センターのサイロ4基が完成
  1982年11月7日 網走市長選挙投開票、現職安藤哲郎3選
  1982年11月10日 市技能功労者表彰式、本間幸四郎(61)、渡辺文雄(47)受賞
  1982年11月13日 自衛隊網走募集所が北6西2に移転新築
  1982年11月15日 国鉄ダイヤ改正、網走駅~札幌駅間の夜行列車にブルートレイン登場
  1982年11月17日 南6西2に協同組合あばしりデパート「セントラルプラザ」新築落成
  1982年11月22日 国鉄は湧網線を第2次廃止対象路線に選定し運輸省に承認申請
  1982年11月24日 自民党総裁予備選挙で中曽根康弘過半数獲得
  1982年11月27日 第1次中曽根康弘内閣発足
  1982年11月28日 網走ジャズオーケストラが第1回コンサート開く(市民会館)
  1982年11月28日 津別町長選挙投開票、現職小南甲三(57)3選
  1982年11月29日 安藤哲郎市長が札幌の病院でポリープ切除手術
  1982年11月30日 市観光協会長仙石清(68)が東京で急逝
  1982年12月1日 市内3番目の住宅団地として向陽ヶ丘団地の分譲始まる
  1982年12月3日 網走市長職務代理者に小田島晃助役任命
  1982年12月4日 市立養護老人ホーム静湖園増築工事完成
  1982年12月6日 市町内会部落会連合会長花川仁左ェ門(82)死去
  1982年12月10日 網走湖畔に西網走漁協のワカサギ孵化施設完成
  1982年12月23日 たんぽぽ保育園の増改築工事竣工式
  1982年12月23日 道道網走~端野線の双鏡台にミニ道路公園完成
昭和58年 1983年1月1日 市民新年交礼会開く、療養中の安藤市長に代わり、市長職務代理者小田島助役が年頭あいさつを代読
  1983年1月6日 療養していた安藤市長が職務に復帰
  1983年1月9日 本道5区選出中川一郎衆議院議員(57)が札幌市で急逝
  1983年1月12日 今年初のソ連船「ユジレフスク号」入港
  1983年1月12日 市議会議員鈴木芳春(71)死去、14日市議会葬
  1983年1月13日 網走漁協の昨年の水揚げ、7万8,446トン(前年比3%減)、金額81億7,318万円(3%減)
  1983年1月13日 明治末期に修理された奈良東大寺国宝大仏殿の屋根瓦が、寄進者高田源蔵の子孫に同寺から返還される
  1983年1月15日 市成人式、新成人は559人
  1983年1月18日 網走地方気象台が「流氷初日」観測
  1983年1月20日 網走サイクリング協会発足(波岡清治会長)
  1983年1月25日 臨時市議会、老人保健法施行に伴う老人医療費の一部有料化など可決
  1983年1月25日 昭和64年国体ボート競技開催地、正式に網走市(網走湖漕艇競技場)に決まる
  1983年1月27日 市優良店舗表彰、ミヤモト化粧品店と卯原内本間百貨店受賞
  1983年2月2日 道開発局は能取漁港の見直し発表、第7次整備計画を限りに拡張ストップ
  1983年2月4日 市営リンクで第22回東北海道氷上競技選手権大会開幕(6日まで)
  1983年2月5日 市町内会部落会連合会会長に夏見軍治選任
  1983年2月6日 藻琴の中央地区総合研修センター落成
  1983年2月7日 釧路の山口組系暴力団員等が網走信用金庫から多額の金を脅し取った事件が報道される
  1983年2月8日 三井造船が開発中の回転ドリル式砕氷船「オホーツク」、能取湖内で砕氷試験開始
  1983年2月10日 第18回オホーツク流氷まつり開幕
  1983年2月10日 市内ホテルで第18回北海道技能士大会開く
  1983年2月11日 第1回オホーツク歩くスキーフェスティバル開く、フィンランド大使館員参加
  1983年2月17日 昭和58年度市予算案発表、一般会計131億2,172万円、市民プール建設予算計上
  1983年2月21日 市議会議長鬼塚勝(68)死去、24日市議会葬
  1983年2月21日 西網走漁協総会で国体ボート競技会場となる網走湖の埋立て承認
  1983年2月28日 昭和64年国体ボート準備委員会発足、会長に遠藤熊吉網走漕艇協会長選任
  1983年3月5日 市指定文化財(天然記念物)にポンモイ柱状節理を指定
  1983年3月14日 前浜の流氷が強風で市内海岸町の海岸に押し上げられ流氷山脈出現
  1983年3月16日 道知事選挙告示、三上顕一郎(55)、広谷陸男(53)、横路孝弘(42)立候補
  1983年3月23日 涛沸湖で白鳥の電線事故防止のため電話ケーブル移設、送電線にも防護管取り付ける
  1983年3月24日 能取港町に第一水産加工業協同組合の冷凍工場完成
  1983年3月25日 へき地保育所の北11東1「市立かもめ保育園」閉園
  1983年3月29日 道議会議員選挙告示、網走市部は現職小田部善治(42)、新人松浦敏司(29)届け出
  1983年3月30日 市スポーツ賞表彰、5個人3団体受賞
  1983年4月6日 市内小学校入学式、新一年生は680人
  1983年4月11日 道知事・道議選挙開票、知事に横路孝弘初当選、網走市部道議は小田部善治再選
  1983年4月16日 市立美術館増築記念「佐藤忠良展」始まる(5月15日まで)
  1983年4月19日 昭和57年度市内建築確認申請件数、総数525件でホテル・旅館は2年連続建築ラッシュ
  1983年4月22日 道道網走~端野線の双鏡台に道路公園整備完了、供用始まる
  1983年4月24日 網走市議会議員選挙投票日、翌日開票30名の当選者決まる
  1983年4月24日 海明け後初のソ連船「ケム号」北洋材を積んで入港。
  1983年4月27日 南8東6の水道工事現場で人骨と装飾品発見
  1983年4月30日 春の叙勲者発表、港湾建設功労で松本政雄(64)が勲七等瑞宝章受賞
  1983年5月1日 市教委は小・中校の在籍児童生徒数まとめる、潮見小1,144人、三中737人で最多
  1983年5月3日 網走地方気象台はさくら開花発表(平年より10日早い)
  1983年5月10日 網走信用金庫役員会で、新理事長に遠藤熊吉選任
  1983年5月14日 天都山桜公園で桜まつり
  1983年5月16日 道道端野~網走間二見ケ岡沿道の桜並木(50本・樹齢50年)が道路拡幅のため伐採されることに決まる
  1983年5月18日 第2回臨時市議会、議長松井幸義、副議長遠藤竹市を選任
  1983年5月19日 網走公共職業安定所管内の中・高新卒者の最終就職状況、就職率100%、地元就職318人で73%
  1983年5月20日 羅臼で捕獲されたラッコ、オホーツク水族館で保護(26日衰弱死)
  1983年5月24日 藻琴で旧日本軍のトーチカが往時のまま発見される
  1983年5月25日 網走市・常呂町・小清水町・東藻琴村の市内局番が2桁になり、市外局番なしで通話可能
  1983年5月26日 秋田県沖で地震発生、死者、行方不明104人、「日本海中部地震」と命名
  1983年5月28日 南ヶ丘高校庭に創立資金寄付者遠藤熊吉翁の胸像建立除幕式
  1983年5月28日 網走市文化連盟新会長に松橋素鶴就任
  1983年5月28日 市の観光ポスターが日本観光協会のポスターコンクールで入選
  1983年6月3日 参議院選挙告示、道選挙区は7人が立候補
  1983年6月8日 道は網走市と東藻琴村をエキノコックス症新汚染地域として認定
  1983年6月10日 市役所にワープロ第1号(75万円)が導入
  1983年6月15日 網走をPRする観光映画「四季・網走」「オホーツクの冬・あばしり」と「流氷写真集」の披露会開く
  1983年6月15日 東京農業大学網走農場プロジェクトチーム来網、病理と害虫の調査
  1983年6月16日 中央公園で湧網線確保沿線住民大会開く
  1983年6月17日 市観光協会総会、会長に野々上熹選任
  1983年6月18日 「ホテルニューあばしり」の増改築工事完成記念式
  1983年6月18日 市立郷土博物館の設計者、田上義也講演会開く(勤労青少年ホーム)
  1983年6月20日 中央商店街が暴走族追放決起大会開く
  1983年6月22日 網走支庁管内観光連盟総会、新会長に野々上熹(網走市観光協会長)選任
  1983年6月23日 旭川医大医師団による市内小・中学生の「背柱側わん症検診」初実施
  1983年6月24日 南8東4でアパート火災、3棟全焼9世帯13人被災、1人死亡
  1983年6月24日 ホクレン中斜里製糖工場の砂糖、網走港からテスト輸送
  1983年6月26日 博物館「網走監獄」公開始まる、初日無料公開
  1983年6月26日 参議院選挙投開票、北修二(58)、菅野久光(55)、丸谷金保(63)、工藤万砂美(58)が当選
  1983年7月2日 網走地方気象台は6月の平均気温が平年を4.2℃下回る8.5℃で観測史上最低を記録
  1983年7月2日 浦士別小中学校に地域プール完成落成式
  1983年7月6日 博物館網走監獄開館記念式、瀬戸山三男文部大臣迎えて挙行
  1983年7月6日 網走バス(株)は網走監獄経由天都山往復バス運行始める
  1983年7月16日 第2回インターナショナルオホーツクサイクリング雄武町を出発
  1983年7月19日 オホーツク水族館で国内で初めてヒゴロモエビの餌づけ飼育に成功
  1983年7月20日 網走地区遊漁振興協議会発足、会長千葉浩一
  1983年7月23日 桂ヶ岡公園でオロチョンの火祭り
  1983年7月24日 青の会が釧路街道沿いの擁壁に、2年目のパノラマ壁画「網走の動物たち」を描く
  1983年7月24日 網走湖で国体漕艇競技道予選、成年男子ナックルフォアで網走市役所が2年ぶり通算10度目の優勝
  1983年7月25日 市優良勤労青少年表彰、5人が受賞
  1983年7月29日 道開発局は道内13水系の水質調査結果発表、網走湖はCOD5.8ppmで環境基準値3ppmを超える
  1983年7月31日 鉄南地区にアスレチック遊具を備えた南公園が開園
  1983年8月2日 国道238号常呂バイパス完成開通式
  1983年8月3日 市営球場でプロ野球イースタンリーグ大洋対巨人戰開催
  1983年8月7日 市の水道は猛暑のため21時から翌朝6時まで緊急断水(8日も続く)
  1983年8月7日 網走商港で花火大会、3万5千人の人出
  1983年8月8日 オロチョンの火祭り保存会、流氷音頭パレードで「オロチョン太鼓」披露
  1983年8月10日 第2次断水(10日まで)、夜間営業の店に影響でる
  1983年8月10日 神社庁は網走神社の宮司に小清水神社の若松暉継宮司を兼職発令
  1983年8月12日 海上自衛隊駆潜艇「うみたか」寄港、市民が体験乗船
  1983年8月12日 網走商工会議所新会頭に土屋秀嗣(59)選任
  1983年8月13日 全国一斉に金融機関が毎月第2土曜日休業をスタート
  1983年8月14日 網走漁協ホタテ貝研究所の黒田久仁男(72)が、ホタテ稚貝育成かごの洗浄排水の浄化技術を開発
  1983年8月20日 南ケ丘高校創立60周年記念事業で黎明会館落成式
  1983年8月24日 網走刑務所前の網走川で恒例の灯篭流し
  1983年8月26日 道道藻琴~東藻琴間で観光バスが路外転落、乗客29人怪我
  1983年8月28日 第1回全日本盲人健康マラソンに出場の桜井芳夫さんが50歳以上で2位入賞
  1983年9月1日 ソ連領空侵犯の大韓航空機がサハリン沖でソ連空軍機に撃墜される
  1983年9月3日 上湧別町商工会青年部が人力車リレーによる国鉄湧網線廃止反対キャンペーン、網走駅前を出発
  1983年9月5日 市内初の車椅子公衆電話ボックス市民会館前に設置
  1983年9月9日 秋庭豊とアローナイツが新曲「流氷」キャンペーンで来網
  1983年9月10日 市が大韓航空機問題連絡本部設置
  1983年9月10日 第20回能取湖サンゴ草祭り開幕
  1983年9月10日 撃墜された大韓航空機の漂流物、網走海岸で18点発見
  1983年9月11日 能取湖口付近の海岸で大韓航空機の搭乗客とみられる外国人女性の遺体の一部を発見
  1983年9月11日 市は大韓航空機事故救難対策本部設置、本部長安藤市長
  1983年9月14日 市民会館で敬老会、市内最高齢者庄司トヨ(97)、70歳以上は2,170人
  1983年9月17日 市内で東宝映画「LOV愛NG」のロケ、人気タレント田原俊彦一行来網
  1983年9月18日 市議会議員遊佐武平(65)が事故で急死
  1983年9月20日 網走小学校前の市道に横断歩道橋完成
  1983年9月23日 第29回NHK網走~北見間駅伝競走大会、81チーム参加
  1983年9月24日 国鉄湧網線、浜網走駅廃止反対市民決起大会開く
  1983年9月25日 女満別空港ビル(株)の設立総会開く、社長に近藤博(北見商工会議所会頭)選任
  1983年9月25日 市民駅伝大会、30チーム参加
  1983年9月27日 第3回定例市議会、国体漕艇競技会場となる網走湖の埋立て調査委託など補正予算可決
  1983年9月29日 国際ソロプチミスト網走は創立5周年記念で薬師寺管主高田好胤「まほろば講演会」開く
  1983年10月1日 市民会館など会場に国際ロータリー第250地区年次大会開く
  1983年10月3日 宮柊二の歌碑、天都山展望台屋上に建立除幕式
  1983年10月10日 博物館網走監獄に網走刑務所の受刑者用浴場復元
  1983年10月15日 南4西4小野田眼科医院閉院
  1983年10月17日 市内で初雪観測、平年より13日早い
  1983年10月21日 東京・新宿のホテルで東京網走会の総会開く、新会長に林秀選任
  1983年10月22日 中央公園で第9回カーニバル・オホーツク開幕
  1983年10月25日 山崎明美(向陽校2年)が「北明美」の芸名でプロ歌手デビュー、シングル盤「白い季節」全国発売
  1983年10月28日 網走駅前と局前にカード式公衆電話機お目見え
  1983年10月28日 卯原内駐在所新築完成
  1983年10月31日 市は造成工事の終わった向陽住宅団地の分譲始める
  1983年11月1日 網走初のコンピューター断層X線装置が道立向陽ケ丘病院に入る
  1983年11月1日 能取港町加工団地に「フライド・フーズ」設立、新谷泰造社長
  1983年11月1日 前田美幸(清浦小1年)が全道小中学生交通安全ポスターコンクールで最高位の金賞受賞
  1983年11月1日 常呂町で開基100年記念式典挙行
  1983年11月3日 網走市文化賞表彰、佐藤久(81)、山谷一郎(68)が受賞
  1983年11月3日 秋の叙勲発表、消防功労で上中屋敷芳一(66)が勲六等瑞宝章、港湾功労で今川高之進(64)、矯正功労で中村三郎(63)が勲七等瑞宝章
  1983年11月3日 市文化連盟の第18回網走芸術賞表彰式、3個人が受賞
  1983年11月6日 中部地区(藻琴・山里・稲富・中園・豊郷・東網走)6小学校の昭和60年4月の統合が決まる
  1983年11月10日 市技能功労者表彰、飯島操(51)が受賞
  1983年11月12日 南5西1大陽ビル内に、市初のミニFM局「FMステーション・シティーグラス」開局
  1983年11月17日 第2回全国都道府県対抗女子駅伝大会(京都市)の道代表選手に荒野由美子(二中)、前田光子(同)が選出
  1983年11月19日 網走消防署に2台目の大型水槽車配備
  1983年11月19日 網走沿岸に瞬間最大風速32.4メートルの強風吹き荒れる、暴風雨波浪警報発令、定置網流出被害1億2千万円
  1983年11月28日 第9期天元戦第3局、片岡聡天元と淡路修三8段が対局(網走湖荘)
  1983年11月30日 流氷まつり実行委員会で第19回あばしり流氷まつり主会場の「商港埠頭」変更決まる
  1983年12月1日 自治省の地域経済活性化対策推進地域に北網地区広域市町村圏が選ばれる
  1983年12月3日 衆院選挙公示、五区は9人が立候補
  1983年12月10日 台町2に財団法人日本気象協会北海道本部網走支部の新庁舎完成
  1983年12月10日 二見ヶ岡小学校で開校50周年記念式
  1983年12月15日 桂町労働会館宿泊部「かつら荘」の解体決まる、跡地は駐車場
  1983年12月19日 衆院選挙開票、5区は中川昭一(30)、島田琢郎(57)、岡田利春(58)、鈴木宗男(35)、新村源雄(64)が当選
  1983年12月19日 第1回全国アマチュア歌謡祭(日本作曲家協会など主催)で矢野洋子(35)が最優秀歌唱賞受賞
  1983年12月20日 第三中学校の屋体と特別教室増築完成
  1983年12月22日 網走バス(株)は向陽ケ丘線の運行始める
  1983年12月26日 第2次中曽根内閣発足
  1983年12月27日 暴力団の市内進出阻止、網走市暴力追放運動推進協議会結成(会長小西末吉)
昭和59年 1984年1月3日 網走警察署発表の網走神社3ヶ日の初詣客1万2千人
  1984年1月5日 市民新年交礼会開く、今年から1月1日から5日開催に変更
  1984年1月5日 市観光協会が網走湖氷上スノーモビル、ワカサギ穴釣り始める
  1984年1月11日 網走漁協の昭和58年水揚げ89,117トン(前年比14%増)、金額93億1,484万円(同8%増)
  1984年1月13日 昭和58年の女満別空港の利用客、18万9,077人で前年実績を下回る
  1984年1月13日 網走警察署管内の昨年の交通事故発生状況、網走市は186件で死者5人
  1984年1月14日 網走地区消防組合各署の昨年の火災発生状況、発生44件、2人死亡
  1984年1月15日 成人の日、市民会館で成人式、新成人533人
  1984年1月18日 第6回全道スピードスケート少年団競技大会開く(19日まで)
  1984年1月25日 市観光協会のアイデア商品「オホーツク網走国」の流氷パスポート売り出す
  1984年1月31日 昭和44年に新町に移転した貨物専用「浜網走駅」が73年の歴史に幕
  1984年2月3日 酒造メーカー三樂オーシャンが製造した白いウィスキー「氷原」が網走と札幌で地域限定販売
  1984年2月8日 高橋正太郎駐道大使来網、博物館・網走監獄など視察
  1984年2月8日 市内で飼育されている食肉用子馬がエキノコックス症と確認、馬の自然感染は世界初
  1984年2月8日 駒場のパチンコ店の一部が大型ショベルで破壊される、犯人の暴力団稲川会系星川組の幹部を逮捕
  1984年2月9日 第19回あばしりオホーツク流氷まつり開幕(12日まで)、今回から会場を網走商港埠頭に移転
  1984年2月11日 天都山コースで第2回オホーツク歩くスキーフェスティバル開く、フィンランド大使館員夫妻参加
  1984年2月13日 網走市暴力追放推進協議会で緊急理事会、暴力追放宣言決める
  1984年2月16日 新年度市予算案発表、一般会計139億29,465千円、中部統合小の新築、オホーツク流氷館建設など
  1984年2月19日 第33回全国水産加工たべもの展で、マルゴ水産(大沼興三社長)の「つぶ貝粕漬」が大阪府知事賞受賞
  1984年2月20日 道は、網走市の「北方圏民族博物館」と紋別、小樽の博物館構想に調査費を計上
  1984年2月29日 北浜駅(大正13年11月15日開業)の出改札業務中止、無人化される
  1984年2月29日 市優良店舗表彰、南4東1日下部薬局網走支店が受賞
  1984年3月1日 北浜駅無人化予定を急きょ変更、同駅に1年間だけサービス駅員配置となる
  1984年3月2日 第30回全国漁村青壮年婦人活動実績発表会で網走漁協ホタテ貝増殖研究会が農林水産大臣賞受賞
  1984年3月5日 網走と鹿児島県沖永良部島がタイアップした観光キャンペーン「北から南から展」開催(大阪市)
  1984年3月17日 原生牧場レストランで、若者グループ「プレゼンテーション・ルートA」が音と光のイベント開く
  1984年3月19日 市は退役する南極観測船「ふじ」の誘致を道に申入れ、道内から稚内、紋別も名乗り
  1984年3月21日 能取港町加工団地でフライドフーズ網走工場起工式
  1984年3月22日 南1東1改築中の中央交番完成開所式
  1984年3月26日 小樽で開かれた全道クロスカントリースキー大会小学生の部で清水秀哲・美栄兄妹(網小)が優勝
  1984年3月29日 市スポーツ賞表彰、体育功労賞5名、市スポーツ賞8名が受賞
  1984年3月29日 昭和62年度全国高校総体漕艇競技大会の網走市開催決まる
  1984年4月1日 市は水質汚濁調査結果発表、網走湖はCODが4.8~15ppmで依然として環境基準3ppmを超える
  1984年4月2日 市内4つの幼稚園幼年消防クラブに(財)日本消防協会から鼓笛隊の楽器類一式が贈られる
  1984年4月5日 オホーツク水族館で飼育中のスケトウダラ越冬に成功、全国で初
  1984年4月5日 網走厚生総合病院で眼科開設
  1984年4月6日 市内小学校で入学式、21校で660人が入学
  1984年4月10日 増改築なったプラザノーキョウ内にサンドール網走店開店
  1984年4月15日 網走駅の昨年度旅客数39万6千人(前年度比7.5%減)、収入5億3,367万円(同5.7%減)
  1984年4月16日 市は天都山展望台わきに二ポポ像と観光案内板、温度計設置
  1984年4月18日 海明け第一船のソ連木材運搬船が入港
  1984年4月21日 市民プール開館式、記念無料開放
  1984年4月23日 市内ホテルで北網圈市町村サミット開催、横路知事来網
  1984年4月27日 女満別空港ビル起工式
  1984年4月28日 春の褒章発表、地方自治功績で尾藤忠雄(64)が藍綬褒章受章
  1984年4月29日 春の叙勲発表、教育功労で内田茂雄(75)が勲五等双光旭日章受章
  1984年5月5日 日ソサケ・マス漁業交渉妥結
  1984年5月7日 道の漁業再編計画で網走港の底引船13隻のうち4隻が減船の対象として提示
  1984年5月14日 市の下水道工事、潮見・向陽で着工
  1984年5月17日 網走公共職業安定所は中・高新卒者の就職状況発表、高卒者は100%就職、72%が地元
  1984年5月18日 4月からの異常低温で農業、水産業、観光業に大痛手
  1984年5月19日 道の愛鳥指定校になった北浜中学校が日本善行会から表彰を受ける
  1984年5月19日 中央商店街振興組合新理事長に田中宏(フジヤ書店)就任
  1984年5月20日 第27回東北海道弓道大会で高校男子団体で南ヶ丘高優勝
  1984年5月22日 市内最高齡者庄司とよ(98)死去
  1984年5月23日 市内ホテルで来網したカナダインディアン一行と地元北方民族の文化交流会開く
  1984年5月24日 カナダインディアン一行が市にトーテムポール寄贈
  1984年5月24日 網走漁協がクロガシラ生態調査、150匹に標識をつけ鱒浦沖に放流
  1984年5月24日 網走地方気象台がサクラの開花宣言、最も遅かった昭和54年とタイ記録
  1984年6月1日 財団法人「山田記念青少年育成財団」設立認可、理事長大林宏文
  1984年6月1日 潮見地区で道勤労者住宅生協の分譲住宅45戸建設着手
  1984年6月2日 南4西3旧イチワ網走店跡に東急系「ターミナルストア網走4条店」開業
  1984年6月6日 網走観光振興公社新社長に浅利清一選任
  1984年6月7日 総合体育館で「サイエンス・サーカス」開幕(17日まで)
  1984年6月9日 台湾基隆市(キールン)の張春煕市長一行来網、ゴミ破砕処理場視察
  1984年6月10日 84小樽博覧会開幕(8月26日まで)
  1984年6月16日 第3期目の網走市総合計画審議会が第1回審議会開く、会長に林幸夫選任
  1984年6月16日 網走ヨット協会発足、会長小田部善治
  1984年6月18日 オホーツク流氷のっとりランド網走実行委員会発足、会長小澄英一
  1984年6月18日 網走信用金庫16番目の店舗、駒場支店落成営業始める
  1984年6月19日 市議会第2回定例会、市職員の60歳定年制など可決
  1984年6月22日 運輸省は国鉄の第2次廃止対象路線申請を承認、ただし湧網線は「地方協議会開催を先送り」の条件
  1984年6月22日 14日からオホーツク海で操業の中国漁船が同海域退去
  1984年6月28日 潮見に簡易郵便局開設
  1984年7月1日 市立図書館で北・西・つくし児童センターに分庫開設
  1984年7月7日 市内タクシー料金値上げ、小型車初乗り390円(旧料金350円)
  1984年7月7日 国道244号鱒浦地区各幅工事始まる
  1984年7月8日 資料館「ジャッカ・ドフニ」館長ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名北川源太郎、60)死去
  1984年7月10日 鉄南方向への天都山道路釧網線踏切廃止、中央線道路踏切は山下通り完成まで存続
  1984年7月14日 オホーツクサイクリング開催、雄武町スタート、参加者1,100名を超える(15日まで)
  1984年7月15日 網走市農業委員会選挙執行、15名の公選委員決まる
  1984年7月18日 網走教育局発表の管内幼稚園就園率、網走市は56.9%(前年度55.4%)
  1984年7月21日 市は第2期潮見墓園の整備計画発表、昭和77年度までに1,365区画の墓所造成
  1984年7月24日 市内の暴走グループ「網走レーシングチーム」解散式
  1984年7月24日 全道美容技術選手権大会(苫小牧市)で山下美容室の木田佳子(26)が優勝、全国大会出場決める
  1984年7月25日 研究学園都市誘致促進期成会が解散、オホーツクアカデミア建設促進期成会(大林宏文会長)を設立
  1984年7月25日 市優良勤労青少年表彰式、7名が受賞
  1984年7月28日 桂ヶ岡公園でオロチョンの火祭り、モヨロ貝塚からタイマツ行進
  1984年7月29日 モヨロ貝塚出土の牙偶など15点がカナダで展示、海外へ初出展
  1984年7月29日 鱒浦市営海水浴場最高の人出、管内から約5,000人押し寄せる
  1984年7月29日 青の会による釧路街道のパノラマ壁画「わが街あばしり」完成、除幕式
  1984年8月1日 財団法人「網走市体育協会」が道教委から認可される
  1984年8月1日 広報「あばしり」通算300号達成
  1984年8月3日 法政大学ニューオレンジ・スイングオーケストラ一行がレークビュースキー場ロッジで合宿(9日まで)
  1984年8月8日 市営鱒浦海水浴場閉鎖、猛暑で利用客2万5千人
  1984年8月10日 海上自衛隊護衛艦「ゆうばり」「いしかり」寄港、11日体験航海
  1984年8月10日 第38回オホーツク夏まつり開幕
  1984年8月11日 二中などを会場に北海道体育大会兼第39回国体ソフトボール道予選大会開く
  1984年8月11日 オホーツク夏まつり花火大会、約6万8千人の観客
  1984年8月12日 13年ぶりに網走川市民レガッタ復活、男女30クルー出場
  1984年8月12日 南4条歩行者天国で1,000人参加の音楽大行進
  1984年8月14日 緑町大東流合気道道場にフランスパリ警視庁警視ら8人が入門(22日まで)
  1984年8月14日 網走神社の例大祭、南4条に307店が出店、中央公園でお化け屋敷など見世物小屋開く(16日まで)
  1984年8月17日 市内の夏日32日間続く、網走気象台開設(明治32年)以来の記録
  1984年8月23日 台風10号による降雨56ミリを記録、農家には干天の慈雨
  1984年8月24日 網走刑務所の地蔵尊祭りと灯篭流しが網走川鏡橋たもとで開かれる
  1984年8月26日 小林寺拳法全道大会(札幌市)で池田真哲(一中)、梶山博史(同)組が最優秀賞、全国大会出場へ
  1984年9月1日 市民会館で「山びこ学級」無着成恭の教育講演会開く
  1984年9月4日 網走刑務所新舎房完成、鉄筋コンクリート3階建て、総工費8億4千6百万円
  1984年9月6日 市消費者協会は82円灯油に反発、値下げ運動展開
  1984年9月8日 能取湖畔で第21回「サンゴ草まつり」開幕(10日まで)、会場で国鉄湧網線沿線市町村綱引き大会開く
  1984年9月11日 能取水産加工団地にフライドフーズ工場落成、試験操業始まる
  1984年9月12日 網走市北方民俗文化保存協会がウィルタ民族の物語『ウィルタ口頭文芸原文集』発刊
  1984年9月14日 市敬老会開く、70歳以上のお年寄り2,303人、最高齡者は阿部のぶ江(97)
  1984年9月16日 中央小で創立100年記念式挙行
  1984年9月16日 市が管理職を除く全職員に、実働の伴わない超過勤務手当を2年間支給し、総額は約4千2百万円に上るとの報道がされる
  1984年9月17日 網走信用金庫駅前支店が駅前通りに移転
  1984年9月17日 網走漁協が能取漁港湖口部の島防波堤築造工事計画に同意
  1984年9月19日 昭和58年度網走市水産加工生産高、59,316トン(前年度比0.8%増)、128億7,500万円(3.7%増)
  1984年9月22日 平和の佐藤久夫飼育の乳牛が、市内初の日本ホルスタイン登録協会の最高位エクセレントに格づけ
  1984年9月23日 網走の語源となった網走湖岸の「チパシリ岩」、北見の伊藤静致さんが松浦武四郎のスケッチに発見発表
  1984年9月23日 網走駅初のお座敷列車「ミステリーカラオケ列車」置戸まで運行
  1984年9月23日 第30回NHK網走~北見間駅伝競走、参加チーム史上最高118チーム
  1984年9月26日 市議会第3回定例会で安藤市長がヤミ手当問題で陳謝
  1984年9月29日 市議会は市職員のヤミ手当問題で市長の3ケ月間10%減給処分可決
  1984年9月29日 市議会は特別職の選任同意、助役神谷孫一、収入役横田徹、教育長三代川幹夫、監査委員最乗高志
  1984年9月30日 市民駅伝競走大会開く、最多の43チーム参加
  1984年10月1日 向陽ヶ丘団地に建設していた雇用促進住宅「向陽ヶ丘宿舎」2棟40戸完成入居始まる
  1984年10月3日 能取水産加工団地に蛋白産業(株)工場落成式、隣接するフライドフーズ網走工場にミール原料供給
  1984年10月7日 第1回網走まるせん主催オホーツクマラソン大会開く、680人参加
  1984年10月9日 5区選出安田貴六前代議士死去
  1984年10月14日 第3回北海道女子駅伝競走大会で網走陸協チーム優勝
  1984年10月17日 向陽高改築期成会発足(会長土屋網走商工会議所会頭)
  1984年10月19日 市が誘致を目指していた2代目南極観測線「ふじ」は名古屋港に決まる
  1984年10月20日 中央公園で第10回カーニバル・オホーツク開幕
  1984年10月24日 第一中で生徒の一部が授業を放棄し、校内のガラスやドアを壊す校内暴力事件発生、午後から臨時休校
  1984年10月27日 モヨロ貝塚地区に北方民族ギリヤークの「土の家」復元改装完成公開
  1984年10月27日 卯原内の二樹の会(松下伸次会長)が冒険公園「わんぱく広場」造成
  1984年10月28日 北浜・娜寄部落の開基100年記念式
  1984年10月31日 中曾根改造内閣発足
  1984年11月1日 1万円、5千円、1千円各新札発行、市内には2日からお目見え
  1984年11月1日 北見市に北網圏文化センターが開館
  1984年11月2日 秋の褒章発表、更生保護功績で喜田実(69)が藍綬褒章受章
  1984年11月3日 網走市文化賞贈呈式 小槌智久三(79)、高政雄(72)、大場信吾(55)受賞
  1984年11月3日 市文化連盟の文化芸術功労者表彰、7個人、1団体受賞
  1984年11月3日 秋の叙勲、港湾建設功労で長南正夫(64)が勲七等瑞宝章受章
  1984年11月8日 市道山下通り線立体交差事業の「釧網線高架橋」開通し1番列車通過、総事業費21億2,300万円
  1984年11月8日 市総合計画審議会(林幸夫会長)が安藤市長に中間答申書手渡す
  1984年11月9日 浦士別~浜小清水間の「平和橋」架け替え工事完成、渡橋式
  1984年11月10日 市技能者表彰、本間正範(63)、荒城繁信(45)、石井清十郎(57)が受賞
  1984年11月10日 市は、網走管内で初の在宅訪問看護事業をスタート
  1984年11月12日 呼人のドライブイン兼ホテル「水芭蕉」全焼、7名重軽傷
  1984年11月15日 北浜中が管内初の全国保健体育優良校に選ばれ表彰受ける
  1984年11月17日 道さけ・ます孵化場呼人孵化場が旧施設の2倍に増改築、落成式
  1984年11月18日 国道244号網走~鱒浦間4車線拡幅工事完成、総事業費34億1千万円
  1984年11月22日 新女満別空港ビル外部工事完成、総事業費12億円
  1984年11月22日 市民大学開講第100回記念講座、草柳大蔵講演会
  1984年11月24日 藤田かつえ・棚川音一編『網走歌壇史』発刊
  1984年11月27日 上水道事業で慢性水不足、市民に節水を呼びかける
  1984年11月27日 北見市の人工透析医院「石田医院」が新町1に網走分院開業
  1984年11月28日 サケ定置網漁不漁のまま終わる、417,910匹水揚げ(前年比24%減)
  1984年11月28日 歌手山川豊が網走漁協前で新曲「流氷子守歌」のキャンペーン
  1984年11月29日 国鉄の荷物取扱駅、石北線は網走、北見のみ、他駅は廃止
  1984年12月3日 NHKドラマ「破獄」、博物館網走監獄内外でロケ
  1984年12月4日 網走港木材船の入港過去最多、15隻入港荷揚量5,200トン
  1984年12月9日 網走市合唱連盟正式発足、会長藤田正光
  1984年12月10日 鱒浦港に船舶上架施設完成
  1984年12月12日 網走ドレスメーカー専修学校長吉村枝図子が服飾教育文化賞(全国服飾学校協会)受賞
  1984年12月14日 網走地区消防組合本部に市消防団員詰め所完成落成式
  1984年12月17日 国鉄相生線バス転換に地元同意、廃線が正式に決まり60年の歴史に幕
  1984年12月19日 西網走漁協の「ホタテ稚貝生産近代化施設」が能取地区に完成
  1984年12月20日 網走刑務所の旧舍房など市に払下げ決まる、市は財団法人「網走監獄」に無償譲渡の予定
昭和60年 1985年1月2日 日米首脳会談開く(中曽根-レーガン)
  1985年1月2日 市内の若者らが凍結した網走湖上にビニールシートで幾何学模様描く
  1985年1月4日 正月3が日の初詣客約1万4千人
  1985年1月5日 市観光協会の網走湖上ワカサギ穴釣り、スノーモービルの営業始まる
  1985年1月5日 市民新年交礼会、安藤市長が「オホーツクアカデミア構想」実現にむけてアピール
  1985年1月8日 女満別空港昨年の利用客195,161人で過去最高
  1985年1月10日 網走地区消防組合昨年の火災発生47件と発表、網走市は33件
  1985年1月11日 網走漁協の昨年の水揚げ90,183トン(前年比1%増)、金額81億8,200万円(同12%減)
  1985年1月15日 市民会館で成人式、新成人551人
  1985年1月16日 市は昨年の建築確認申請受理状況発表、総数441件
  1985年1月17日 未明から網走地方に猛吹雪、最大瞬間風速27.8メートル、交通機関マヒ
  1985年1月17日 市文化賞受賞者、俳句の高田ちゑ女(本名ちゑ、79)死去
  1985年1月21日 日ソ協会網走支部が組織を拡大して再発足(新谷泰造支部長)
  1985年1月24日 網走漁協で対ソ漁業危機突破緊急市民大会開く
  1985年1月24日 呼人金印わさび網走研究所が道内初の自動制御温室完成
  1985年1月28日 昭和59年度優良店舗表彰、千里堂眼鏡店、阿部運動具店選ばれる
  1985年1月29日 網走警察署管内昨年の犯罪発生件数790件(前年比5%増)と発表
  1985年1月29日 網走支庁管内でまたも暴風雪、市内で最大風速29.5メートル、全小中高臨時休校
  1985年1月31日 南網走農協青年部が東京で開かれた全国農協青年部実績発表大会に出場
  1985年2月1日 第1回オホーツク流氷のっとりランド網走が能取岬で開幕
  1985年2月2日 市立美術館で優佳良織の織元木内綾作品展開く(17日まで)
  1985年2月2日 網走警察署管内昨年の非行少年補導516人(前年比15%増)
  1985年2月4日 ブラジルの日本語学校松柏学園から日系小、中、高生使節団20人来網(7日まで)
  1985年2月8日 第20回あばしりオホーツク流氷まつり開幕(11日まで)
  1985年2月9日 網走市日中友好促進協議会設立10周年で中国・宋之光駐日大使來網
  1985年2月9日 市合唱連盟主催で岡村喬生バス独唱会開く(市民会館)
  1985年2月11日 オホーツク歩くスキーフェスティバル開く、フィンランド大使館員参加
  1985年2月11日 カナダBC州ノースバンクーバ市の小学生一行53名来網(14日まで)
  1985年2月15日 国鉄第2次廃止対象路線の湧網線第1回地方協議会開く(セントラルホテル)
  1985年2月22日 昭和60年度市予算案発表、一般会計147億8,813千円(前年度比5.6%増)
  1985年2月25日 網走刑務所の放射状旧舎房、博物館・網走監獄への第1期移築工事始まる
  1985年2月28日 市文化連盟が創立20周年記念「網走市文化小史」発刊
  1985年3月4日 安藤市長、松井議長らが東京で日本ハムにブロイラー工場の網走進出を要請
  1985年3月5日 北見市に大型スーパー「イトーヨーカドー北見店」開店
  1985年3月6日 市議会第1回定例会開会(26日まで)
  1985年3月10日 ソ連チェルネンコ書記長死去、後任ゴルバチョフ政治局員就任
  1985年3月14日 国鉄ダイヤ改正、網走駅発急行大雪2・3号が特急「オホーツク2・3号」に昇格
  1985年3月17日 山里、中園、藻琴各小学校閉校式
  1985年3月18日 稲富小学校閉校式
  1985年3月20日 豊郷小学校閉校式
  1985年3月21日 東網走小学校閉校式
  1985年3月23日 網小児童らによるカナダ親善交流使節団29名出発(4月1日まで)
  1985年3月24日 能取岬の第1回オホーツク流氷のっとりランド閉幕、入場者1万4千人
  1985年3月24日 全道クロスカントリースキー競技会(小樽市)小学生の部で清水美栄(網小2年)が2年連続優勝
  1985年3月25日 網走市に対しカナダ・ブリティッシュコロンビア州ポートアルバーニ市から親善提携の打診寄せられる
  1985年3月27日 市スポーツ賞表彰、個人、1団体が受賞
  1985年3月30日 市は健康カレンダーを全戸に配布
  1985年3月30日 市立卯原内診療所廃止
  1985年3月30日 大曲団地に3階建て公住3棟36戸完成
  1985年3月31日 網走商港に海明け第1船、ソ連船が原木を積んで入港、陸揚げ作業で死亡事故発生
  1985年3月31日 明治25年発行の「新撰北海道全図」が卯原内中から博物館網走監獄に寄贈される
  1985年3月31日 国鉄相生線(美幌町~津別町)が廃止、60年の歴史に幕
  1985年4月1日 電電公社が「日本電信電話株式会社」に、日本専売公社が「日本たばこ産業株式会社」に民営化移行
  1985年4月5日 60年度国家予算成立、一般会計52兆4,996億円(前年度比3・7%増)
  1985年4月5日 国際捕鯨委員会(IWC)の商業捕鯨全面禁止決定に対し、政府は異議申立てを撤回、商業捕鯨から撤退方針
  1985年4月6日 札幌網走会再発足、総会開く、会長に吉野晃司札幌市議会議長
  1985年4月8日 中園、藻琴、山里、稲富、豊郷、東網走の6小学校を統合した藻琴の「東小学校」開校、入学式挙行
  1985年4月9日 フィンランド日本協会親善使節団来網
  1985年4月13日 世界初の実物流氷を展示する「オホーツク流氷館」天都山に完成落成式、14日開館 
  1985年4月15日 網走駅の昭和59年度営業成績発表、乗客37万9千人(前年度比6%減)
  1985年4月17日 中国黒龍江省視察団一行來網、今後の交流につき安藤市長と懇談
  1985年4月18日 マスヤ書店倉庫から大正時代の市内風景、生活ぶりを写したガラス乾板発見、博物館網走監獄に寄贈
  1985年4月19日 西小学校、第三中学校の学校給食で427人の食中毒発生
  1985年4月21日 新女満別空港ビル竣工式
  1985年4月22日 新女満別空港供用開始、道内6番目のジェット化空港
  1985年4月22日 博物館網走監獄に移築復元された網走刑務所の旧舎房一般公開始まる
  1985年4月25日 新女満別空港初の国際チャーター便が韓国ソウルに出発
  1985年4月28日 金印わさび網走工場が西洋ワサビの新品種「白宝」開発に成功
  1985年4月29日 春の叙勲発表、船舶無線功労で篠崎英仁(71)、教育功労で石野栄次郎(78)が勲五等双光旭日章、裁判所事務功労で菊地順吉(69)が勲七等瑞宝章受賞
  1985年5月5日 市が東京農大に委託していた「農業高等教育基本調査」で、4年制大学の設置が可能との骨子まとまる
  1985年5月8日 GW期間中、オホーツク水族館はウーパールーパー人気で例年の約3倍
  1985年5月10日 網走地方気象台がサクラの開花宣言、平年より3日早い
  1985年5月18日 潮見児童センターに市立図書館の第5番目の地域分庫開設
  1985年5月18日 第4回天都山さくら祭り開幕
  1985年5月31日 網走ワインに醸造免許下りず、委託醸造のみ続行
  1985年5月31日 第一中学校で結核患者多数でる、生徒・父母らで33人罹患、運動会中止と報じられる
  1985年6月1日 桂町に住居表示実施、1~5丁目
  1985年6月4日 常呂町長選挙告示、無投票で斎藤秀信当選
  1985年6月10日 戦時中の防空監視哨跡記念碑を台町から桂町護国神社境内に移設
  1985年6月11日 市町内会部落会連合会は市内の町内会組織率73%、11,767戸加入と発表
  1985年6月11日 市議会第2回定例会、議長松井幸義(69)、副議長八木禧幸(43)選任
  1985年6月13日 ボランティア団体の青の会(剱持正代表)がまちづくり活動の功績により道知事表彰受賞
  1985年6月14日 特別職の報酬改定、市長71万円、助役57万円、収入役・教育長57万円、監査委員43万5千円、議長29万2千円、副議長25万7千円、議員23万2千円
  1985年6月16日 紋別市長に金田武3選
  1985年6月16日 市は昨年度観光客入込み数発表、172万5,462人(前年度比2.4%増)
  1985年6月16日 日本ハムのブロイラー工場誘致、市内に飼育実験鶏舎建設決まる
  1985年6月19日 網走湖にアオコ大量発生し湖内に拡散
  1985年6月20日 札幌市から中学校の修学旅行305人来網、12年ぶりの中学修学旅行団
  1985年6月21日 オホーツク沿岸15市町村でオホーツクライン観光開発推進協議会設立総会、会長金田紋別市長
  1985年6月22日 夏まつり実行委員会は、38年の実績ある花火大会中止を決定、代わって浅草三社祭りのみこし招聘
  1985年6月22日 全道高校登山大会で南ヶ丘高女子が優勝、2位の男子とそろって全国大会出場校に選出
  1985年6月23日 能取水産加工団地の国内初のソーラーポンド実験施設完成、蓄熱抽出は10月から
  1985年6月23日 全道高校漕艇選手権大会女子シングルスカルで川内優子(南ヶ丘高)優勝(網走湖)
  1985年6月25日 網走港初の大型客船「さんふらわあ7」(リ・ディスカバリー号)寄港
  1985年6月26日 市の下水道普及率74%と発表
  1985年6月28日 市民会館で第26回北海道神社庁神社関係者大会開く、約800人参加
  1985年7月1日 東京農業大学の寒冷地農業実地研修生14人、音根内で受入式
  1985年7月1日 網走自然休養林、美岬野営場開き
  1985年7月2日 作家戸川幸夫ら文化人絵画サークル「竹林会」の12名来網、市内周辺でスケッチ
  1985年7月4日 市議会全員協議会で安藤市長が東京農業大学誘致の決意表明と同大建設基本構想発表
  1985年7月7日 オホーツク水族館の入館者400万人達成記念式
  1985年7月11日 開発、支庁、土現、水試、流域自治体などで構成する網走湖環境保全対策推進協議会発足
  1985年7月12日 海上自衛隊護衛艦「ゆうばり」「ゆうべつ」が網走港入港、艦内公開と体験航海
  1985年7月13日 オホーツクサイクリング開幕(14日まで)
  1985年7月14日 中園小中同窓会が母校跡地に記念碑建立、除幕式
  1985年7月15日 網走市行財政検討市民委員会の第1回委員会開く、会長村上寿朗
  1985年7月18日 全道消防救助技術訓練指導会高所人命救助で網走地区消防組合が優勝、全国大会へ出場決める
  1985年7月20日 全道家庭婦人バレーボール大会開く、34チーム参加(総合体育館、21日まで)
  1985年7月21日 国体漕艇競技道予選シェルフォアで網走市役所ボート部優勝、国体出場を決める(札幌市)
  1985年7月22日 市優良勤労青少年表彰式、3名受賞
  1985年7月27日 北農産業(株)(北見市)は、水産廃棄物からバイオ有機肥料製造工場を能取団地に建設、操業始める
  1985年7月27日 モヨロ貝塚と桂ヶ岡公園で第37回オロチョンの火祭り開く
  1985年7月28日 猛暑続きで上水道が夜間断水、3日間に及ぶ、製氷工場はフル操業
  1985年7月29日 女子中学生ボートクルー「網走エンジェルスクラブ」が新潟県の第5回全国中学校選手権大会で優勝
  1985年7月31日 山里地区公民館増改築工事落成、山里小閉校記念碑除幕式
  1985年8月1日 南ヶ丘高校などで第1回オホーツク・アカデミア・アートセミナー始まる
  1985年8月4日 西網走神社創祀80周年記念式執行
  1985年8月7日 昭和46年設立の網走物産協会を発展的に解消し、網走市物産協会が新たに発足、会長土屋四郎
  1985年8月7日 オホーツク流氷館4月開館以来10万人達成記念式
  1985年8月8日 西網走漁協は、網走湖の水質環境と漁業をテーマにシンポジュウム開く(セントラルホテル)
  1985年8月9日 市水道が2度目の夜間断水、4日間に及ぶ
  1985年8月10日 第39回オホーツク夏まつり開幕(11日まで)
  1985年8月13日 日航ジャンボ機墜落、520人が死亡し世界航空史上最悪の事故
  1985年8月14日 網走神社例大祭(16日まで)4条通りに露店約300店並ぶ
  1985年8月24日 網走川三眺河畔で網走刑務所恒例の地蔵尊供養祭と灯篭流し
  1985年8月25日 小清水町長選挙投開票、前教育長の高島温厚(60)が初当選
  1985年8月25日 札幌で開かれた全国中学校選抜陸上競技大会1年男子千五百メートルで出口庄司(第三中)が優勝
  1985年8月25日 市営球場で札幌交響楽団定期公演10周年記念グリーンコンサート開く、約1万人が集まる
  1985年8月28日 網走商工会議所の経営安定対策本部スタート
  1985年8月30日 網走社交業組合が東京農業大学誘致にと10万円を市に寄付、同資金寄付第1号
  1985年9月2日 中央商店街振興組合で直営による街頭放送始める
  1985年9月6日 第26回北海道地方教誨師研修大会開く
  1985年9月7日 河本嘉久蔵北海度開発庁長官来網、博物館網走監獄視察
  1985年9月7日 市は大学誘致推進本部設置(本部長安藤市長)
  1985年9月8日 皇太子殿下、美智子妃殿下ご来網、能取湖畔でサンゴ草群落ご視察
  1985年9月9日 サロマ湖で第5回全国豊かな海づくり大会、皇太子殿下、美智子妃殿下御出席
  1985年9月9日 ソ連共産党サハリン州代表団一行来網、漁業者と懇談
  1985年9月10日 市内ホテルで皇太子殿下、美智子妃殿下昼食会(知事、市長ら出席)、オホーツク流氷館ご視察後帰京
  1985年9月12日 大学誘致促進期成会設立、会長に土屋網走商工会議所会頭
  1985年9月12日 嶋崎均法務大臣来網、博物館網走監獄視察
  1985年9月14日 第22回能取湖サンゴ草まつり開幕、16日まで
  1985年9月14日 市の敬老会、70歳以上2,414人、最高齢者阿部のぶ江(98)
  1985年9月15日 市営球場で第15回全道朝野球大会開幕
  1985年9月15日 網走専門店会の「オホーツク健康マラソン大会」開く、825人参加
  1985年9月16日 日本陸連公認フルマラソンコース(42・195キロ)、市役所~浜小清水折り返しのコース検定行われる
  1985年9月17日 網走市国際交流推進委員会発足、委員41人委嘱、会長大林宏文
  1985年9月22日 能取水産加工団地のソーラーポンド、蓄熱層は70℃に達する
  1985年9月23日 第31回NHK北見~網走間駅伝競走大会、過去最高152チーム参加
  1985年9月28日 市議会が企業誘致特別委員会設置決める
  1985年9月29日 第6回網新杯市民駅伝競走大会、48チーム参加
  1985年10月2日 網走信用金庫60周年記念文化講演会開く、三遊亭円楽ほか出演
  1985年10月3日 マーク・C・ミントン在札幌アメリカ領事が視察のため来網
  1985年10月6日 駒場市営テニスコートに夜間照明つく
  1985年10月7日 張志民在札幌中国総領事一行来網
  1985年10月7日 網走市行財政検討市民委員会は安藤市長に答申書提出
  1985年10月10日 博物館・網走監獄の放射状舎房、移築完成式
  1985年10月11日 港町に出雲大社網走分社改築造営竣功式
  1985年10月11日 ポートアルバーニ市との姉妹都市提携協議のため神谷助役ら4名が同市へ向け出発(20日まで)
  1985年10月13日 第4回北海道女子駅伝競走大会(江別~札幌間)で網走陸協が大会史上最高タイムでV2達成
  1985年10月14日 釧路市長選挙、鰐淵俊之(48)当選
  1985年10月14日 東京「銀座ナイン」で網走の観光と物産展開催(19日まで)
  1985年10月16日 市内ホテルで第2回湧網線特定地方交通線対策協議会開く
  1985年10月16日 北海道新聞社網走支局の新局舎落成
  1985年10月19日 網走市国民体育大会事務局が設置
  1985年10月19日 ソ連からの輸入7万8千トンに達し過去最多
  1985年10月19日 第11回カーニバルオホーツクが西三プラザと西2・3の歩行者天国で開幕(20日まで)
  1985年10月20日 公認コース(市役所前~浜小清水折り返し)で第1回網走オホーツクマラソン大会開く
  1985年10月20日 南5西1ミドリ美容室の西村キクノが労働大臣表彰受賞
  1985年10月21日 東京都内のホテルで東京網走会総会開く
  1985年10月21日 安藤市長は、市、議会、期成会連名の要請書を東京農大理事長に手渡す
  1985年10月21日 網走地方高等職業訓練校で初のパソコン教室開講
  1985年10月24日 市役所の市税など事務処理に電算化進む
  1985年10月24日 全国初のソーラーポンド実用化試験の公開説明会とシンポジュウム開く
  1985年10月26日 網走沖採取の流氷パック各地で好評、物産展で注文相次ぐ
  1985年10月29日 市役所庁内にブロイラー企業誘致促進事務局設置
  1985年11月1日 金印わさび網走研究所が優良ナガイモ原種から種イモの生産をバイオ技術で確立
  1985年11月2日 秋の褒章発表、矯正教育功績で秋永智徳(62)が藍綬褒章受章
  1985年11月3日 秋の叙勲発表、教育功労で小槌智久三(80)が勲5等双光旭日章、港湾建設業務功労で田中敏美(64)が勲7等瑞宝章受賞
  1985年11月3日 網走市文化賞、山内せつ(84)、白井四郎(71)受賞
  1985年11月3日 市文化連盟の各賞表彰式、5名受賞
  1985年11月8日 第35回全国高校漕艇選手権大会の網走市開催で実行委員会設立準備室開設
  1985年11月11日 市技能功労者表彰式、樋口昭弘(57)、中嶋さよ(65)受賞
  1985年11月11日 プロ野球「日本ハムファイターズ」の網走後援会結成(会長樋口信夫)
  1985年11月13日 網走信用金庫は帯広支店開設
  1985年11月13日 市内6団体が結束して網走市心身障害児者連合父母の会発足、会長松井幸義
  1985年11月12日 東京農業大学教授会で新学部設置検討委員会をつくる
  1985年11月18日 第一中学校で「学校情報テレホンサービス」始める、市内校で初めて
  1985年11月19日 北見市で暴力団抗争激化、組長射殺事件発生
  1985年11月21日 女満別町役場庁舎、消防庁舎落成式挙行
  1985年11月22日 日ソ親善協会結成総会、会長谷村尚忠
  1985年11月22日 建設途中で放置された天都山中腹のホテル廃屋を市が取壊し決める
  1985年11月23日 中国瀋陽市武術代表団来網、24日総合体育館で公演
  1985年11月24日 能取水産加工団地の共同排水処理施設でサケの水槽飼育に成功、1年半で体長30cm
  1985年11月25日 網走青年会議所が時事評論家竹村健一の講演会開く
  1985年11月26日 市は国勢調査の人口速報発表、世帯数14,810、人口44,285人
  1985年11月28日 呼人中学校の第二中学校統合問題で説明会、住民は圧倒的多数で統合案に反対
  1985年11月30日 秋サケ終漁、82万7千匹(前年比98%増)で史上2位
  1985年12月3日 藻琴の東小学校開校記念式、校歌、校章、校旗披露
  1985年12月3日 国勢調査北海道の人口567万9,430人、前回調査に比べ10万3,441人増と発表
  1985年12月4日 市は議会特別委員会で東京農業大学誘致運動の中間報告、1学部3学科で現地法人化せず
  1985年12月5日 市議会に議員定数調査特別委員会設置
  1985年12月7日 全市連合年末年始大売出し始まる、1等賞品はハワイ旅行
  1985年12月9日 市内で記録破りの大雪、12月としては1日分の降雪量26cmは新記録
  1985年12月11日 下水道普及率80%に達する、年間859戸増
  1985年12月12日 市内小中学校長会議、第3次学校整備計画まとまる、呼人中学校の第二中学校統合は見送りとなる
  1985年12月13日 網走海保の新型巡視船「ゆうばり」(500トン)就役、商港埠頭で入港式、16日就役式挙行
  1985年12月13日 網走市の国勢調査人口44,285人で前回比492人減と発表
  1985年12月13日 網走・ポートアルバーニ姉妹都市交流委員会設立総会開く、委員長大林宏文
  1985年12月15日 西小学校の屋内体育館改築工事完成、こけら落としで学芸会開く
  1985年12月17日 市議会第4回定例会、東藻琴村に市上水道第3水源池を5億円で確保する補正予算案可決
  1985年12月19日 網走小のブラジル松柏学園親善使節団(4~6年8名、引率2名)が出発(1月10日まで)
  1985年12月20日 市議会は議員定数4人減を可決
  1985年12月21日 稲富の瑞穂橋竣工渡り初め
  1985年12月22日 新スタイルの市勢要覧、英文入り「オホーツク物語」発刊
  1985年12月23日 61年度政府予算大蔵原案一般会計54兆886億円(前年度比3・0%増)
  1985年12月25日 網走の昭和59年度水産加工製品生産高は62,058トン(前年度比4.6%増)、金額150億3千8百万円(16.7%増)
  1985年12月25日 冬の網走湖でワカサギ釣り、氷上スノーモービル始まる、3月15日まで
  1985年12月28日 第2次中曽根改造内閣発足
昭和61年 1986年1月3日 網走神社の3が日の初詣客約1万500人
  1986年1月5日 市民新年交礼会、約150人参加
  1986年1月7日 女満別空港の昨年の利用者数27万1,589人と発表
  1986年1月9日 北浜に多目的ホール農村環境改善センター完成
  1986年1月9日 南小に夜間照明つきスケートリンク完成
  1986年1月11日 網走漁協の昨年の水揚げ86,700トン(前年比4%減)、金額82億6千万円(同1%増)
  1986年1月12日 市は昨年の建築確認申請件数発表、419件(前年比6.7%減)
  1986年1月12日 網走地方気象台は「流氷初日」宣言
  1986年1月15日 市民会館で成人式、新成人491人
  1986年1月16日 日ソ漁業交渉中断、関係者1,300人が参加して網走漁協前で対ソ漁業交渉危機突破緊急網走市民大会開く
  1986年1月19日 北5西7に4階建て公営住宅「コーポ橋北」1棟24戸完成
  1986年1月22日 年末年始大売出しの総決算、企画が当たって売上げ10億円突破
  1986年1月23日 猛吹雪、最大瞬間風速23.1メートル、小中高全校臨時休校
  1986年1月24日 網走地方気象台が「流氷接岸初日」を発表、平年より4日早い
  1986年1月25日 市立郷土博物館改装オープン、改修記念特別展・北方民族の精神文化開く(2月28日まで)
  1986年1月28日 アメリカのスペースシャトル、チャレンジャー爆発、搭乗員7名死亡
  1986年1月29日 冷凍食品製造の北海道冷食(本社・網走市)が和議申請
  1986年1月30日 東京農業大学誘致について市労協が安藤哲郎市長に公開質問状手渡す
  1986年1月30日 昭和60年度優良店舗表彰、サンモード、佐々木写真館受賞
  1986年2月1日 オホーツク流氷のっとりランド開幕(能取岬、3月23日まで)
  1986年2月1日 東京農大教授会が、学部増設検討委員会の「網走市に1学部3学科を増設すべき」とする中間答申を了承
  1986年2月2日 東京銀座ナイン2号館で「第2回オホーツク流氷まつり」、大流氷塊展示し冬の網走をPR
  1986年2月4日 網走港の昭和60年貨物取扱実績80万3,000トン(前年比9.4%増)
  1986年2月6日 全国中学校陸上競技大会千五百メートルで優勝の出口庄司(第三中)が道知事表彰の「栄誉をたたえて」受賞
  1986年2月7日 カナダ・ポートアルバーニ市のジリアン・トランパー市長一行(10名)来網
  1986年2月8日 第21回オホーツク流氷まつり開幕(11日まで)
  1986年2月8日 女満別空港から国際チャーター便の大韓航空機出発、外国航空機初登場
  1986年2月8日 全国の矯正施設で作られた作業製品の展示即売場が網走刑務所正門前に開業
  1986年2月9日 網走市とカナダ・ポートアルバーニ市との姉妹都市提携調印式(セントラルホテル)
  1986年2月9日 姉妹都市提携調印記念で初の流氷花火大会開く
  1986年2月10日 市内各界代表とポートアルバーニ市長ら関係者との懇談会が開かれる
  1986年2月10日 市内書家松橋素鶴が日本美術出版社の書道芸術賞に選ばれる
  1986年2月11日 オホーツク歩くスキーフェスティバル開く、フィンランド大使館員など430人参加
  1986年2月14日 バレンタインデーでグループ蜃気楼(岡田正代表)が、結氷した網走湖に炎のハート描く(初開催)
  1986年2月15日 道に対し網走水試の加工部存続を陳情、紋別への集約は決定済みと回答
  1986年2月15日 昭和61年度道予算で道立向陽高の移転改築決まる
  1986年2月17日 第3回特定地方交通線対策協議会開く、湧網線廃止に伴うバス転換で沿線市町村が合意
  1986年2月19日 昭和75年までに職員85人削減など市行財政計画発表
  1986年2月19日 第10期棋聖戦、小林名人が趙治勲に勝ち対戦成績を2勝2敗とする(網走湖荘)
  1986年2月20日 東京農業大学理事会は、網走への新学部増設については、さらに検討を要するとして決定に至らず
  1986年2月20日 市は、東京農業大学誘致に関する市労協の公開質問状に対する回答公表
  1986年2月20日 網走厚生総合病院の増改築工事で4階建て新病棟完成、高度医療設備を導入し3月から使用予定
  1986年2月21日 新年度市予算案発表、一般会計156億37,346千円(前年度比6.3%増)
  1986年2月23日 全国水産加工たべもの展(大阪)でマルゴ水産「つぶ居酒屋」が水産庁長官賞受賞
  1986年2月26日 呼人中学校統合問題のブロック懇談会終わる、大勢は第二中学校統合案に反対
  1986年3月1日 第1回冬季アジア競技札幌大会開幕
  1986年3月3日 網走湖環境保全対策協議会が「湖の環境保全に係る基本方針」策定
  1986年3月9日 網走信用金庫創立60周年記念式、預金1,200億円達成
  1986年3月17日 網走支庁農業学園終講、修了生510名を送り出して20年の歴史を閉じる
  1986年3月20日 市と網走漁協は日ソ漁業交渉の難航で休業中の沖底漁船員に緊急生活資金の貸付決める
  1986年3月21日 浦士別中閉校式(昭和22年6月開校)
  1986年3月21日 市労協は東京農業大学誘致に関する市民アンケートをまとめ市に提出
  1986年3月22日 音根内中閉校式(昭和23年4月開校)
  1986年3月22日 音根内小70周年記念式挙行
  1986年3月23日 北浜中閉校式(昭和26年4月開校)
  1986年3月23日 藻琴中閉校式(昭和26年4月開校)
  1986年3月23日 第2回オホーツク流氷のっとりランド網走閉幕、入場者21,600人
  1986年3月24日 網走婦人会総会、新会長に後藤田生子(50)選任
  1986年3月26日 市内小学生親善使節団77名が姉妹都市ポートアルバーニ市へ向け出発(4月5日まで)
  1986年3月29日 市スポーツ賞表彰式、5個人2団体受賞
  1986年3月30日 小樽で開かれた全道クロスカントリースキー競技大会で清水美栄(網小)が3年連続優勝
  1986年3月31日 網走地区消防組合が2年計画で進めた消防・救急通信システムが完成、供用開始
  1986年4月2日 眼科専門医院「古川眼科クリニック」開院し患者の不便解消
  1986年4月5日 宮城県の研究家が網走国定公園内の小清水海岸で鳴り砂発見と報じられる
  1986年4月7日 市内小学校で入学式、597人が入学
  1986年4月8日 北浜中、浦士別中、音根内中、藻琴中の4中学校を統合した藻琴の第四中学校で開校式
  1986年4月11日 日ソ漁業交渉が妥結、漁獲割り当ては大幅減少、道内底引船の減船と再編必至
  1986年4月12日 市農業振興地域整備促進協議会は市が諮問した日本ハム誘致用地の農振地域除外に同意
  1986年4月14日 帯広市長に田本憲吾4選
  1986年4月18日 市立図書館の「よびと分庫」が呼人生活館内に開設
  1986年4月19日 市は北洋漁業対策本部設置、北洋漁業の再編、減船問題を検討
  1986年4月21日 中国・煙台市などを訪問する網走日中友好訪問団(14人)が出発
  1986年4月22日 ジェット化1周年の女満別空港利用客295,968人(前年195,981人)と発表
  1986年4月22日 日本ハム・ブロイラー企業の網走進出正式に決まる、工場建設費35億円、従業員250人は地元採用と発表
  1986年4月24日 ソ連からの木材運搬第1船入港
  1986年4月25日 市議会総務委員会・北方教育施設整備促進特別委員会の合同委員会で東京農大誘致の資金計画を了承
  1986年4月26日 (株)網走市振興公社設立総会、社長神谷孫一市助役
  1986年4月28日 ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で世界最大規模の事故発生
  1986年4月28日 日本ハム大社義規社長来網、安藤哲郎市長に同社の網走進出の通知文書手渡す
  1986年4月29日 天皇誕生日、在位60周年記念式
  1986年4月29日 春の叙勲、郵政事業功労で渡邊運蔵(73)が勲五等瑞宝章、矯正業務功労で大谷進(65)が勲七等瑞宝章受章
  1986年5月1日 石油資源開発(株)は北見大和堆で石油・天然ガスを試掘
  1986年5月2日 中国訪問から帰網した日中友好訪問団は、威海市が網走との友好都市提携の意向と報告
  1986年5月4日 東京サミット開幕
  1986年5月21日 網走市のポートアルバーニ姉妹都市訪問団(団長安藤市長、19名)が出発
  1986年5月21日 姉妹都市ポートアルバーニ市出身のリック・ハンセン(28)が、車いす世界一周マラソンツアーで網走に立ち寄る、トランパー市長のメッセージを渡す
  1986年5月23日 網走駅前通り国道39号の4車線化工事始まる(駅前~大曲交差点)
  1986年5月24日 ポートアルバーニ市議場で網走、ポートアルバーニ両市長が姉妹都市盟約書に署名
  1986年5月24日 日ソのサケ・マス漁業交渉、漁獲量24,500トン、協力金35億円で合意
  1986年5月25日 市の健康増進制度と市民健康大学の6月発足決まる
  1986年5月29日 札幌網走会総会開く
  1986年6月2日 衆議院解散、衆参同日選挙となる
  1986年6月5日 網走観光振興公社株主総会、社長に小田島晃選出
  1986年6月5日 婦人会館で市民大学開講、第1回講師は芥川賞作家高橋揆一郎
  1986年6月5日 藻琴と二つ岩でアイヌ民族のチャシ遺跡2ケ所確認、市内のチャシ遺跡は14ヶ所となる
  1986年6月7日 市立郷土博物館・同友の会は氏家耕編著『網走市周辺の植物』発刊
  1986年6月7日 市は昨年度来網観光客180万3,980人(前年度比4.6%増)と発表
  1986年6月10日 北見市開基90年、市制施行45年記念式挙行
  1986年6月14日 オホーツク水族館開館30周年記念事業でラッコ館建設着工
  1986年6月18日 網走沖での紋別船籍オッタートロール船の操業に反対、網走海域を守る漁民大会で決議
  1986年6月18日 第14回参議院選挙公示、北海道選挙区は8名立候補
  1986年6月21日 第38回衆議院選挙公示、北海道5区から8名立候補、参院とダブル選挙
  1986年6月21日 ホタテ養殖技術習得のためアラスカから2人の技術者来網研修
  1986年6月22日 全道高校体育大会ボート競技(札幌市)で網走勢が5種目中4種目で優勝、全国大会出場へ
  1986年6月25日 市議会第2回定例会、東京農大学部増設建設資金寄付金44億7千7百万円などの補正予算が可決、社会党クラブは資金計画で質疑、共産党は反対討論
  1986年6月26日 東京農大理事会で網走の学部増設正式決定、認可申請は1年遅れで来年7月、開学は昭和64年4月予定
  1986年6月26日 市議会で上水道料金改定可決、平均47.83%の値上げ、8月から実施
  1986年6月28日 南4条通りのとうめい会が「とうりゃんせ祭り」開く(7月13日まで)
  1986年6月30日 網走港基地沖合底引漁船の減船5隻に決まる
  1986年6月30日 網走厚生総合病院の新病棟と改築工事完成、全施設整う
  1986年7月1日 新町に網走市魚菜流通センター開業(センター長石上孝一)
  1986年7月1日 中国・章曙特命全権大使来網、市内ホテルで歓迎会開く
  1986年7月4日 網走市自然観察会が「網走市の自然目録・第1集」(植物・野鳥編)発刊
  1986年7月6日 衆・参両議院同日選挙投票日、翌日開票
  1986年7月6日 市民会館で昭和61年度北海道川柳大会開く
  1986年7月7日 衆参同時選挙開票、衆院5区は中川昭一(32)、北村直人(39)、武部勤(45)、鈴木宗男(38)、岡田利春(61)が当選、参院道選挙区は対馬孝且(61)、岩本政光(57)、高木正明(57)、小笠原貞子(66)が当選
  1986年7月9日 日本体育協会理事会で第44回国体開催地が北海道に正式決定、網走市はボート競技開催
  1986年7月10日 能取と呼人の2地区に幼・少年消防クラブ発足
  1986年7月12日 オホーツクサイクリング、雄武町出発
  1986年7月15日 国鉄釧網線北浜駅が民間委託の観光駅として再開、駅舎内に喫茶店「停車場」開店
  1986年7月17日 小清水原生花園のエゾノコリンゴに害虫異常発生、関係機関が駆除に苦慮
  1986年7月18日 網走湖で開かれる62全国高校総体漕艇競技の市実行委員会設立総会開く(会長安藤市長)
  1986年7月18日 市東京農大誘致促進期成会が同大設置促進期成会に改称
  1986年7月20日 羽田空港発着枠の増加で、東亜国内航空の女満別~羽田便1往復増便3往復となる
  1986年7月22日 第3次中曽根内閣発足
  1986年7月25日 あばしりオホーツク夏まつり開幕(27日まで)
  1986年7月25日 北海道ワインに委託醸造した網走ワインが市内酒販店で一斉発売
  1986年7月25日 市優良勤労青少年表彰式、男子7名、女子2名受賞
  1986年7月26日 ソウルで開かれる第10回アジア大会日本代表浅井えり子ら長距離6選手が合宿来網(28日まで)
  1986年7月26日 オロチョンの火祭り、モヨロ貝塚で採火し桂ヶ岡公園へ
  1986年7月26日 異常増殖した網走湖のアオコが網走川河口まで流下
  1986年7月27日 第4回道小学生選抜陸上競技大会開く、網走陸上競技の恩師新岡武一(元網小教員・埼玉県在住)が来網
  1986年7月27日 第6回全国中学選手権競漕大会女子ナックルフォアで網走エンジェルス2連覇(長野県)
  1986年7月29日 減船が決まった網走港基地沖合底引漁船5隻の乗組員82人の退職補償交渉妥結
  1986年7月30日 上水道新水源から日量1,000トン取水、断水の懸念解消
  1986年7月31日 市立図書館が『湯浅純彦日記(解読稿)』発刊
  1986年7月31日 学校法人網走学園理事長千葉七郎(82)死去、8月3日同学園葬
  1986年8月1日 網走バス(株)で運賃値上げ、初乗り料金100円から120円に
  1986年8月1日 網走川鏡橋たもとの市営三眺有料駐車場供用開始
  1986年8月3日 市民プールで第1回市民水泳大会開く
  1986年8月6日 大曲地区12町内会が連合町内会結成、市内14番目
  1986年8月8日 合併予定の斜網地区農業共済組合本部は女満別町に設置決まる
  1986年8月11日 鳥取県で開かれた全国高校総体ボート競技、男子ナックルフォアで向陽高校初優勝
  1986年8月12日 市営鱒浦海水浴場閉鎖、期間中の白旗11日、利用客9,595人(昨年より1,533人減)
  1986年8月14日 網走神社例大祭(16日まで)、南4条通りに278店の露店並ぶ
  1986年8月18日 小林水産が釧路地裁網走支部に和議申請
  1986年8月19日 国道39号網走駅前通りの拡幅工事の移転代替地として三眺地区国有地を払い下げを受け、団地造成に着手
  1986年8月20日 第10回アジア大会ボート競技に出場する日本代表クルーが網走湖で直前合宿(9月2日まで)
  1986年8月20日 市民会館で森昌子オンステージ開く
  1986年8月21日 姉妹都市ポートアルバーニ市の小学生親善交流団78人来網(26日まで)
  1986年8月20日 能取港町のベンチャー企業、フライド・フーズが不渡り手形を出し経営に行き詰まる
  1986年8月23日 第10回アジア大会に出場するバドミントン日本代表チームが市内で強化合宿
  1986年8月25日 ソ連の博物館関係者3名来網、市内ホテルでハバロフスク地域博物館長の講演会開く
  1986年8月27日 釧路地裁で梅田事件の再審判決公判、34年ぶりの無罪判決
  1986年8月30日 網走市総合計画審議会開く(会長林幸夫)、市は新総合計画策定を諮問
  1986年9月1日 市営球場の夜間照明施設完成、初ナイトゲーム
  1986年9月3日 網走市自校給食を守る会は学校給食のセンター方式に反対する請願書と署名簿を市議会議長に提出
  1986年9月5日 網走セントラルホテルの増改築工事落成式
  1986年9月6日 綿貫民輔北海道開発庁長官来網、博物館網走監獄視察
  1986年9月6日 市教育委員会は学校給食について単独校方式継続を市議会文教民生委員協議会で報告
  1986年9月7日 網走十七美会が創立70周年記念式と俳句会開く、70周年誌『十七美』発刊
  1986年9月7日 葉梨信行自治大臣来網、博物館網走監獄視察
  1986年9月8日 中国船籍「豊台山」初入港、網走港から中国へ住宅建設資材の初輸出
  1986年9月13日 市民会館で市の敬老会、70歳以上の高齢者2,512人、最高齢者阿部のぶ江(99)
  1986年9月13日 能取港町に網走第一水産加工業協同組合の網走水産加工振興センター竣工落成
  1986年9月13日 能取湖畔でさんご草まつり開幕(15日まで)
  1986年9月13日 能取港町でまるせんドライブインシアター開く(網走専門店会主催)
  1986年9月14日 第12回全道フィールド・アーチェリー大会で中村九二五(市役所)優勝
  1986年9月17日 安藤哲郎市長が市長選挙4選出馬表明
  1986年9月18日 あばしりしんきん講演会開く、講師は評論家俵萌子
  1986年9月21日 第7回市民駅伝競走大会開く、過去最多の52チーム参加
  1986年9月23日 第32回NHK網走~北見間駅伝競走大会、159チーム参加
  1986年9月27日 北見大和堆の石油・天然ガス探査、著しい兆候なし、「第2白竜」撤去
  1986年10月1日 東京農業大学網走寒冷地農場開設式
  1986年10月2日 網走支庁管内景気底冷え、各業種倒産最悪の記録、負債総額100億円突破
  1986年10月8日 北洋減船補償が全国で要求の5分の1の280億3千万円に決まる
  1986年10月8日 北海道体力づくり最優秀校に南ケ丘高選ばれる
  1986年10月8日 能取港町のソーラーポンド実用化試験、コスト高、円高による石油価格下落で実用化のめ目途たたず
  1986年10月10日 オホーツク水族館にアラスカからラッコ4頭到着、18日から一般公開
  1986年10月12日 藻琴消防詰め所移転改築工事完成落成式
  1986年10月15日 網走港基地沖合底引漁船の減船補償1隻当りスクラップにしない場合4,500万円に決まる
  1986年10月16日 市立郷土博物館創立50周年記念北方民族文化シンポジウム始まる(17日まで)
  1986年10月17日 網走地方気象台が初雪観測、平年より13日早い
  1986年10月18日 西三プラザと中央公園で第12回オホーツクカーニバル開幕
  1986年10月28日 網走市長選に共産党から松浦敏司出馬表明
  1986年11月1日 国鉄ダイヤ改正、釧網線の急行「しれとこ号」廃止
  1986年11月1日 網走駅で高速新型気動車、特急「おおとり」出発式
  1986年11月1日 市文化連盟の各賞表彰、6個人受賞
  1986年11月1日 総合体育館で第7回全道9人制バレーボールクラブ選手権大会開く
  1986年11月2日 網走市長選挙告示、現職安藤哲郎(60)、新人松浦敏司(33)が立候補
  1986年11月2日 秋の褒章発表、松山恒雄(59)が黄綬褒章受章
  1986年11月3日 秋の叙勲発表、鳥獣保護功労で大西重利(79)が勲五等瑞宝章受章
  1986年11月3日 網走市文化賞、大西重利(79)、立脇参朗(74)が受賞
  1986年11月3日 市立郷土博物館で創立50周年記念回顧展始まる(12月30日まで)
  1986年11月6日 網走港に初の石炭船入港、インドネシア産石炭5千トン陸揚げ(北見の製糖工場で使用)
  1986年11月9日 網走市長選挙投開票、現職安藤哲郎(60)4選果たす
  1986年11月10日 天皇在位60周年記念金貨(10万円)銀貨(1万円)引換え開始
  1986年11月14日 網走神社の宮司に後藤正義着任
  1986年11月19日 市は下水道普及状況発表、下水道普及率81.3%、水洗化普及率78.6%
  1986年11月20日 まる専会館で「第1回全日本パッチ選手権大会」開く
  1986年11月21日 伊豆大島三原山大噴火で全島民1万2千人が島外避難
  1986年11月22日 網走海域のサケ漁11月30日まで延長決まる
  1986年11月25日 網走市健康推進員協議会設立総会開く(会長田中周三)
  1986年11月25日 市技能功労者表彰式、三浦国子(66)、加藤文雄(62)受賞
  1986年11月25日 向陽高校ボート部に北海道新聞スポーツ賞、同社で授賞式
  1986年11月27日 網走、常呂、女満別、小清水、東藻琴の5市町村で「オホーツクレクトピア計画」策定
  1986年11月28日 市議会文教民生委員協議会で自校方式による学校給食を再確認、給食調理員はパート補充
  1986年11月29日 第44回国民体育大会網走市実行委員会が発足(会長安藤市長)
  1986年11月29日 会計検査院が養殖場造成で改善通告、市内では二つ岩地区が対象となる
  1986年11月30日 東部地区サケ終漁、網走漁協111万8,654匹(前年比35.2%増)で過去最高
  1986年12月2日 特定不況地域中小企業対策臨時措置法の指定地域に網走市決定、低利融資などで景気浮揚に期待
  1986年12月6日 青の会(松本裕司代表)が、信金本店前で東京農大誘致24時間キャンペーンを実施
  1986年12月10日 橋北団地の公営住宅建て替え工事、2棟32戸完成
  1986年12月12日 会計検査院が能取漁港の利用が不十分と指摘したことを受け、水産庁が網走漁協に「改善命令」出す
  1986年12月23日 市議会文教民生委員協議会は学校給食の自校方式を承認、同問題に終止符