網走とクジラの関わりは、この地が網走と呼ばれる遙か昔よりありました。北海道遺産の網走市モヨロ貝塚は、6~13世紀に栄えたオホーツク文化最大の遺跡です。そのモヨロ貝塚からクジラの骨でつくられた銛(もり)が多数発掘されています。
その当時よりクジラとの関わりがあったことがうかがえます。
網走で近代捕鯨がスタートしたのは、1915年(大正4年)東洋捕鯨会社が捕鯨工場を建てたのが始まりです。その当時はナガスクジラやザトウクジラなどの大型のクジラやミンククジラを捕鯨し、最盛期の1950年代には捕鯨会社が7社操業するなど一大産業を形成していました。
しかし、乱獲に伴う資源の減少で捕鯨会社が少しずつ撤退し、1962年(昭和37年)には大型捕鯨会社は全て撤退しました。
大型捕鯨会社が撤退したあとの網走では、ミンククジラ捕鯨を主体とする小型捕鯨会社が操業を続けていました。しかし、1982年(昭和57年)IWC(国際捕鯨委員会)がモラトリアム(商業捕鯨一時停止措置 1986年から開始)を決議し、ミンククジラなど13種類の大型鯨類の商業捕鯨が禁止されました。
網走では1987年を最後に、小型捕鯨会社が行っていた沿岸海域での商業捕鯨を中断せざるをえなくなり、1988年からIWCの管理下におかれていないツチクジラを、政府の頭数制限を受けながら捕獲しています。
また、2017年には調査捕鯨(北西太平洋鯨類科学調査)により、網走で30年振りにミンククジラが水揚げされました。
2019年6月末をもって日本はIWCを脱退し、ミンククジラ等の商業捕鯨が再開となりました。
網走市では、鯨食文化・捕鯨文化の普及と継承を図るため、クジラの学校給食や市民へのクジラ肉の提供など様々な活動を行っています。
年代 | 出来事 | |
---|---|---|
1915年 | 大正4年 | 東洋捕鯨 事務所設立しオホーツク海での捕鯨を開始する |
1919年 | 大正8年 | 東洋捕鯨 根室へ移転(捕鯨中断) |
1931年 | 昭和6年 | 日本捕鯨(東洋捕鯨の後身) 工場開設 |
1935年 | 昭和10年 | 日本捕鯨 捕鯨を中断 |
1940年 | 昭和15年 | 土佐水産・日本水産(日本捕鯨の後身) 工場開設 |
1950年 | 昭和25年 | 7社が操業(最盛期) |
1952年 | 昭和27年 | 三好捕鯨 着業(小型捕鯨会社 現在も操業中) |
1955年 | 昭和30年 | 日本水産 捕鯨から撤退 |
1962年 | 昭和37年 | 大型捕鯨業者 網走市より撤退 |
1970年 | 昭和45年 | 下道水産 着業(小型捕鯨会社 現在も操業中) |
1987年 | 昭和62年 | 沿岸小型捕鯨船によるミンククジラ漁最後の年 |
1988年 | 昭和63年 | ミンククジラの捕鯨が禁止されたため、IWC規制外のツチクジラを捕獲開始 |
1992年 | 平成4年 | オホーツクの捕鯨文化を守る実行委員会発足 |
1993年 | 平成5年 | クジラの学校給食開始 |
IWC会議対策網走実行委員会発足 | ||
調査捕鯨副産物の市民還元事業(冷凍ブロック肉の格安提供)開始 | ||
2003年 | 平成15年 | IWC会議対策実行委員会が「網走くじら協議会」へと改名 |
網走おさかな委員会が「網走の活き粋き7珍」の中の1つに選定 | ||
2005年 | 平成17年 | ツチクジラの捕獲枠が2頭から4頭に拡大 |
2017年 | 平成29年 | 調査捕鯨により、網走で30年振りにミンククジラ水揚げ |
2019年 | 令和元年 | 日本がIWCを脱退。ミンククジラの商業捕鯨再開。 |
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