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網走の水産年表

この年表は、水産関係の情報を集めた年表です。一部、情報が欠落している部分もありますが、昔はこんなことがあったのかと、時代を感じながら見ていただければと思います。

和暦 西暦 網走 国内・国外
文化5年 1808年 藤野喜兵衛、宗谷・斜里場所を請負い、北見沿岸漁業との関係が始まる
明治2年 1869年 場所請負制度廃止される
明治3年 1870年 開拓使、藤野喜兵衛の漁場持ち引上げを通告
明治5年 1872年 藤野喜兵衛、再び漁場持ちとなる
明治9年 1876年 全道一斉に漁場持制を廃止、藤野伊兵衛、北見国漁場の放棄を声明
明治11年 1878年 アイヌの独立漁業が輩出(宮本伊太郎等)
明治13年 1880年 帽子岩突提工事、河口突提工事、河口港修築計画
明治13年 1880年 森田辰三、網走川でサケ漁を営む(和人の独立漁業として最初のもの)
明治14年 1881年 網走川で本格的サケ漁が行なわれる
明治20年 1887年 スコット・メーク技師(英)、全道の要港調査に着手
明治21年 1888年 北海道庁雇スコット・メーク技師(英)網走港修築計画樹立
明治22年 1889年 網走沖でブリやマグロが獲れる
明治22年 1889年 網走・常呂二群水産漁業組合創立
明治23年 1890年 美幌に人工孵化場が設置される
明治26年 1893年 知人岬に防波堤を作り、修築工事の促進を図る(工事費1万3千余円は住民の寄付金による)
明治26年 1893年 道庁は網走築港の必要性を認め、政府に開拓意見書を提出
明治31年 1898年 網走港修築請願書、帝国議会で採択
明治32年 1899年 東京帝大名誉教授広井博士、網走港修築基本設計策定
明治32年 1899年 斜里に人口孵化場新設される
明治33年 1900年 網走港修築計画、帝国議会で否決
明治37年 1904年 木材沖積のため汽船数隻来航
明治41年 1908年 北千島カニ・タラ漁業開始
明治42年 1909年 根室から鮭買取のため冷蔵船入港する 汽船トロール、全国で12隻、北海道で8隻
明治42年 1909年 常呂村でカキの養殖開始
明治42年 1909年 木材、かに缶詰等輸出記録
明治43年 1910年 旧漁業法を廃止して、新たに漁業法を公布(漁業組合の改善) 露領漁業、初めて紅鮭缶詰つくる
明治43年 1910年 水産業戸数66戸、水揚高22,032円 朝鮮漁業開始
明治43年 1910年 第27回帝国議会で網走港修築計画可決(4月)
明治44年 1911年 網走漁業組合を結成し、湖における内水面漁業に力を入れて、将来の発展の基礎を作る ロシア極東トロール漁業発祥
大正2年 1913年 大内孫兵衛、大謀式網漁法に成功 島根底曳発祥(本州最初)
大正2年 1913年 広井博士、網走港修築実測 日本漁船、メキシコ・カリフォルニアへ出漁
大正3年 1914年 北海道底曳発祥(室蘭市)
大正3年 1914年 釧路マグロ流網漁船に動力導入
大正3年 1914年 北洋母船式サケ・マス漁業試験
大正4年 1915年 オヒョウ延縄漁船に動力導入 全国動力漁船700余隻に達する(北海道70隻)
大正4年 1915年 捕鯨業はじまる
大正4年 1915年 タラバガニ刺網、カレイ打瀬、アブラツノザメ、ソイ延縄、チカ漁業始まる
大正4年 1915年 網走湖に「コイ」を放流する(稚魚5千尾)
大正4年 1915年 発動機船による沖合漁業はじまる
大正4年 1915年 東洋捕鯨会社網走事業所を開設する
大正5年 1916年 函館底曳発祥
大正5年 1916年 日本漁船、シンガポールへ出漁
大正6年 1917年 網走魚菜市場開設 小樽・根室底曳発祥
大正6年 1917年 タラバガニ漁業の創開 北海道機船底曳許可隻数18隻
大正6年 1917年 能取岬灯台が完成・点灯(10月1日) 動力巻揚機、考案される
大正7年 1918年 「すきみ」・「ひらき」加工業おこる 釧路底曳発祥
大正7年 1918年 網走漁業市場開設
大正7年 1918年 網走缶詰株式会社が設立され、「カニ缶」を製造
大正8年 1919年 漁業戸数45戸、農業戸数2,436戸 本州カツオ漁船のディーゼル化はじまる
大正8年 1919年 網走港修築工事着手(4月) 樺太にフィッシュミール工場建設
大正8年 1919年 網走港修築起工式挙行(8月13日)
大正9年 1920年 稚内底曳発祥
大正9年 1920年 カニ工船漁業試験
大正10年 1921年 網走底曳発祥(大平丸) 紋別底曳発祥
大正10年 1921年 トロール漁船、無電を装備
大正11年 1922年 北見沿岸でホタテ漁船350隻が一大暴風雨により遭難 利尻底曳発祥
大正11年 1922年 帝国水難救済会網走救護所設置 北水試三洋丸、宗谷海峡底曳試験
大正12年 1923年 特務艦大和がオホーツク海の水深調査を実施した際、紋別沖に有望な漁礁を発見(北見大和堆) 留萌底曳発祥
大正12年 1923年 北水試三洋丸がオコック、ダッタン地区トロール調査
大正12年 1923年 母船式捕鯨を考案(ノルウェー)
大正12年 1923年 太平洋オヒョウ条約結ばれる
大正13年 1924年 網走湖でワカサギの人工孵化事業がはじまる カツオ漁船、無電を使用
大正13年 1924年 底曳漁船、無注水式発電機を使用
大正14年 1925年 藻琴湖から網走湖へシジミ貝移植 底曳漁船にディーゼル機関導入
大正14年 1925年 網走漁業組合が網走湖・能取湖・濤沸湖に佃煮工場設置 北水試三洋丸、オコックのトロール・延縄漁業調査
大正14年 1925年 武蔵堆の発見により、北水試三洋丸が魚場調査実施
昭和元年
(大正15年)
1926年 網走底曳、紋別入会開始(昭和9年中止) 北海道底曳許可制施行
昭和元年
(大正15年)
1926年 冷凍マグロ、アメリカ輸出開始
昭和2年 1927年 網走底曳、サメ利用開始 母船式サケ・マス漁業試験
昭和2年 1927年 動力船31隻(底曳15隻、延縄13隻) 稚内底曳、樺太沿岸の利用始める
昭和2年 1927年 マグロ漁船、東インドへ出漁
昭和3年 1928年 北水試茶々丸、網走沖でメヌケ延縄試験を実施 室蘭底曳に鋼船出現
昭和3年 1928年 藻琴湖から網走湖へシジミ貝移植
昭和4年 1929年 網走港第一オコック丸、知床漁場開発 北海道太平洋マグロ豊漁
昭和4年 1929年 日本漁業労働者組合結成
昭和5年 1930年 網走業者、釧路でタラ曳きを習う 釧路底曳、南千島出漁を開始
昭和5年 1930年 網走底曳、キチジを漁獲 カニ漁船・トロール漁船、アラスカへ出漁
昭和5年 1930年 網走沿岸にマイワシ来遊(昭和12年まで) 北水試、北千島トロール、延縄、サケ・マス流網漁業試験
昭和5年 1930年 河口突提灯台点灯(白灯台)
昭和5年 1930年 北防波堤灯台点灯(赤灯台、昭和55年10月移設)
昭和6年 1931年 網走湖のコイ地曳網漁業開始 釧路底曳、南千島・色丹魚場開発
昭和6年 1931年 日本捕鯨会社(のち日本水産捕鯨部)、築港工場跡に事業場開設、沿岸捕鯨再開 道北千島流網漁業を許可
昭和6年 1931年 ジュネーブ国際捕鯨条約
昭和7年 1932年 網走底曳、スケトウダラ利用開始 北千島サケ・マス漁業開始
昭和7年 1932年 北海道漁業缶詰会社、タラバガニ缶詰製造開始
昭和8年 1933年 クジラの塩蔵加工から缶詰加工に変る 漁業技術員協会設立
昭和8年 1933年 北海道水産物検査所網走派出所開設
昭和9年 1934年 網走オヒョウ延縄、南千島へ出漁 釧路底曳、アブラガレイ利用開始
昭和9年 1934年 純漁家戸数94戸となる 北海道、北千島サケ・マス流網漁船を200隻に制限
昭和9年 1934年 網走橋を改築し、永久橋となる 北水試、武蔵堆延縄試験
昭和10年 1935年 網走底曳、カレイ類利用開始 北海道機船底曳網水産組合設立
昭和10年 1935年 トロール船、アルゼンチンへ出漁
昭和11年 1936年 函館・室蘭地方の禁漁区域拡大により、函館の底曳船4隻が網走へ回航し、オホーツク海で操業する 政府試験船、アラスカでサケ・マス漁業試験実施
昭和11年 1936年 海洋漁業振興協会発足
昭和12年 1937年 水産業戸数220戸 ロンドン国際捕鯨条約
昭和13年 1938年 網走沖タラ資源減少 ニシン凶漁
昭和13年 1938年 全国漁業組合連合会結成
昭和14年 1939年 網走川川筋物揚場着手
昭和15年 1940年 根室から網走へタコ函漁法導入 函館底曳、網走、紋別、稚内に転入
昭和15年 1940年 網走支庁管内水産加工食品工業組合が創立 北水試茶々丸、オコック深海魚場で延縄試験
昭和15年 1940年 釧路船、西カムチャッカ~シュムシュ島で試験操業
昭和16年 1941年 網走機船底曳漁業組合結成(昭和19年解散) 北水試調査船、オコック海夏季底曳試験実施
昭和17年 1942年 網走水産指導所開設 小手繰網漁業、道南に広がる
昭和17年 1942年 日本海ソウハチ利用盛んになる
昭和18年 1943年 網走底曳船、共同経営行なう(1年間)
昭和19年 1944年 浦士別ワカサギ孵化場増設(9億粒採卵) 北海道水産業会設立
昭和19年 1944年 網走漁業会発足 道、小手繰漁業を公認
昭和20年 1945年 松島のカキ種苗を濤沸湖、藻琴湖、鱒浦、二ッ岩海岸に移植する マッカーサーライン設定
昭和21年 1946年 呼人ワカサギ孵化場増設(10億粒採卵) 釧路底曳、落石漁場を開発
昭和21年 1946年 マッカーサーライン拡張
昭和21年 1946年 北見沿岸ニシン、ホタテ激減
昭和22年 1947年 鮮魚の冷凍貨車輸送試験、浜網走駅から東京へ貨車6台発送 水産業基本調査実施
昭和22年 1947年 北方漁業開発請願市民大会、網走中央校で開催
昭和22年 1947年 網走沿岸のサケ大漁、市の漁獲高26万貫(975トン)突破
昭和22年 1947年 瀬川漁業部の「芳栄丸」、知床沿岸でホタテの試験操業
昭和23年 1948年 北大低温科学研究所の福富教授による流氷調査始まる 北海道漁港協会創立
昭和23年 1948年 網走漁業無線電信局開局 北海道漁民大会開催
昭和23年 1948年 網走地方暴風雨により、サケ定置網被害4,000万円 サンマ集魚灯棒受網漁業が盛んになる
昭和23年 1948年 網走漁業組合は鱒浦沖と斜里沖にホタテ稚貝50万粒放流 水産局、水産庁に昇格
昭和23年 1948年 米・加太平洋漁業会議開催
昭和23年 1948年 水産業協同組合法公布、翌年施行
昭和23年 1948年 港湾港域法公布
昭和24年 1949年 底曳ローソクボッケ利用開始 枝幸底曳発祥
昭和24年 1949年 スケトウダラ開き、盛んになる 第1回全国漁港大会開催
昭和24年 1949年 道水試網走支場新庁舎落成 北見鮭鱒漁業協同組合設立認可
昭和24年 1949年 西網走漁業協同組合創立 改正漁業法公布
昭和24年 1949年 網走漁業協同組合創立(初代組合長:白井 茂)
昭和24年 1949年 網走地方水産加工業協同組合設立認可
昭和24年 1949年 濤沸湖に稚鯉30万尾放流
昭和25年 1950年 網走根拠サメ浮延縄漁業開始 増毛底曳発祥
昭和25年 1950年 網走機船底曳網漁業協同組合設立認可 母船式マグロ漁業開始
昭和25年 1950年 道水試網走支場・道水産研究所網走支所の開庁式挙行 改正漁業法施行
昭和25年 1950年 呼人孵化場からサケ・マスの稚魚1,200万尾放流
昭和26年 1951年 西網走漁協でコイの人工孵化実施 日高・広尾底曳発祥
昭和26年 1951年 北水試による大和堆開発調査 北海道漁業人口13万6千人
昭和26年 1951年 網走漁業生産組合設立認可 北海道鮭鱒漁業協同組合創立(札幌)
昭和26年 1951年 網走市沿岸漁業生産組合設立 水産資源法制定
昭和26年 1951年 網走支庁に水産課新設
昭和26年 1951年 網走海産商業協同組合(魚介類行商の組合)設立
昭和26年 1951年 網走支庁で河川汚濁防止協議会開く
昭和26年 1951年 網走漁協でサロマ湖産ホタテ稚貝2千万粒を鱒浦、藻琴、北浜沖に放流
昭和27年 1952年 鱒浦漁港起工式 海上保安庁法改定公布(海上警備隊が設置される)
昭和27年 1952年 網走機船延縄漁業組合設立 北洋漁業再開
昭和27年 1952年 高田太郎所有船「喜共丸(46t)」に、網走初の魚群探知機装置 北海道漁業調整規則制定
昭和27年 1952年 北洋漁業再開に備え、網走公海出漁組合創立 季ライン設定
昭和27年 1952年 オホーツク海に強風、管内サケ定置被害13億円 母船式サケ・マス試験操業
昭和27年 1952年 小型底曳減船開始 サンマ漁業取締規制交付
昭和28年 1953年 網走根拠スケトウダラ・中層延縄漁業がはじまる 北水試エトロフ沖開発試験
昭和28年 1953年 北洋出漁独航船第1陣網走出航 北海道漁業公社設立
昭和28年 1953年 網走漁協の共同荷捌所完成 道漁業信用基金協会発足
昭和28年 1953年 インド洋マグロ漁に網走から2隻出漁 港湾整備促進法公布
昭和29年 1954年 海岸町に大洋漁業㈱網走食品工場進出 母船式サケ・マス漁業、許可漁業として発足する
昭和29年 1954年 網走港毛ガニ籠漁業はじまる 底曳ニシン混獲規制(大臣指令)
昭和29年 1954年 網走市、暴風雨による市内の漁業被害1,117万円と発表 北洋タラ漁第1次船団、紋別出航
昭和29年 1954年 北洋漁業再開記念大博覧会(函館)
昭和30年 1955年 西カム銀洋丸船団の沖積基地として網走港指定 タライカ湾漁場開発調査
昭和30年 1955年 オホーツク海に暴風波浪、管内サケ定置網全滅、被害総額1億9千万円 ベーリング海トロール開始
昭和30年 1955年 オホーツク海サンマ棒受網漁船の水揚げ高382万貫(14,325トン)突破 日中漁業協定
昭和30年 1955年 網走川の水が緑変(青潮)、死んだ魚類が大量に浮上(6月29日) 第1回日米加漁業交渉
昭和30年 1955年 カムチャッカ西岸へ戦後初出漁の銀洋丸船団、函館を出航
昭和31年 1956年 北洋漁業危機突破網走市民大会 ダッタン海湾漁場開発調査
昭和31年 1956年 網走港岸壁に北洋沖積船桟橋完成 西カムチャッカ、タラ延縄漁業開始
昭和31年 1956年 網走水産試験場、厚岸産オゴノリ200貫(750㎏)を濤沸、能取両湖に移植試験 オコック海ニシン沖刺網開始
昭和31年 1956年 ソ連、北洋漁業ブルガーニンライン指定
昭和31年 1956年 日ソ漁業条約、海難救助協定調印
昭和32年 1957年 日ソ漁業交渉早期妥結網走市民大会 樺太東北岸漁場開発調査
昭和32年 1957年 網走市水産加工振興協会発足(会長:新谷 泰造) 西カムチャッカ底曳漁場調査
昭和32年 1957年 網走漁業無線局に短波無線機設置 北海道漁民同盟発足
昭和32年 1957年 西カムチャッカ鮭鱒流網漁に網走から独航船2隻出航 第1回日ソ漁業交渉
昭和32年 1957年 日ソ漁業協定促進網走地区大会開く
昭和32年 1957年 網走東部海区、ホタテ禁漁
昭和32年 1957年 水試網走支場が能取湖にコンブ移植試験実施
昭和32年 1957年 能取・濤沸両湖に厚岸産オゴノリ原草400貫(1.5トン)移植
昭和33年 1958年 千島沖太平洋底曳漁試験操業に網走船団出港 ベーリング海母船式底曳開始
昭和33年 1958年 網走からの北洋独航船全船出港(東カムチャッカ8隻、西カムチャッカ3隻) 南シナ海母船式底曳開始
昭和33年 1958年 能取湖へ松島からカキ稚貝500連移植 日本海マス流網漁業、許可漁業となる
昭和33年 1958年 ソ連漁業調査団来網 オホーツク沿岸漁民代表、西カムチャッカ操業促進で東京都合同庁舎前に座りこみ
昭和33年 1958年 網走管内凶漁、水揚げ減3億 道鮭鱒孵化場北見支場でし尿が流れ込み、サケの稚魚10万尾死滅
昭和33年 1958年 水試網走・稚内両支場は、オホーツク海で油ザメの流網漁の試験操業実施 日ソ漁業交渉は「総漁獲量11万t、オホーツク海出漁は本年限り」で妥結
昭和33年 1958年 網走東部海区、ホタテ禁漁
昭和33年 1958年 網走漁協、藻琴~北浜間の沖合にホタテ稚貝(イカダ5台分)放流
昭和33年 1958年 能取湖カキ貝初出荷
昭和34年 1959年 網走湖でワカサギ7億粒の養殖事業開始 全国漁民大会開く
昭和34年 1959年 網走海域ホタテ漁、3年ぶりに解禁 中型機船底曳網漁業振興計画案作成
昭和34年 1959年 網走水試、スケトウダラの冷凍すり身試作に成功 東カムチャッカ・西カムチャッカ・北千島沖合漁場底曳調査
昭和34年 1959年 濤沸湖の養殖オゴノリ採取許可 道水試の海洋観測船「探海丸(68t)」がオホーツク海の海流調査始める。
昭和35年 1960年 道水産研究所、網走地区でニシンの産卵場調査開始(3年計画) 北洋底曳制度化の論議はじまる
昭和35年 1960年 タラバガニ漁5年ぶりに部分解禁 漁業協同組合整備促進法公布
昭和35年 1960年 ソ連漁業視察団来網 道水産部、中型底曳船の北方転換対策案をまとめる
昭和35年 1960年 網走海域のイカ、大漁で沖止め、サンマも豊漁
昭和35年 1960年 斜網地域漁場安定対策協議会創立
昭和35年 1960年 オホーツク海結氷地帯漁業経営安定対策協議会発足
昭和35年 1960年 能取湖にオゴノリ母草11t移植始まる
昭和35年 1960年 網走支庁管内の総水揚げ20万t、38億円の新記録
昭和35年 1960年 網走港の水揚げ5万t、9億5千万円で過去5年間の最高
昭和36年 1961年 能取湖でクロガシラの養殖試験開始 北洋転換3ヶ年計画スタート(目標60隻)
昭和36年 1961年 能取湖のオゴノリ、20年ぶりに採取 漁業制度審議会が現行漁業制度の改善対策を答申
昭和36年 1961年 オホーツク海のサンマ漁、流通調整のため月1回休漁 指導漁連発足
昭和36年 1961年 鱒浦漁港完成式(昭和25年着工) 港湾整備緊急措置法公布
昭和36年 1961年 網走漁協、イカの漁獲制限実施
昭和37年 1962年 市でとろろ昆布製造機購入、4業者に貸し付けて操業開始 西アフリカ沖底曳漁業委員会開く
昭和37年 1962年 オホーツク海ホタテ漁解禁、許容量7,600t、96隻出漁許可 日ソ漁業委員会、漁場のA・B両区域割りで協定成立
昭和37年 1962年 網走地区水産加工振興協議会設立 サロマ湖で養殖中のホタテ貝が全滅
昭和37年 1962年 市内、車止内に道営鮭鱒孵化場網走事業場竣工、世界最大の立体式施設
昭和37年 1962年 市は日高から網走湖へシシャモの卵5千万粒移植して孵化試験を始める
昭和38年 1963年 ホタテ解禁、斜網海域は禁漁 底曳沿岸スケトウダラ漁業協会成立
昭和38年 1963年 強風でサケ定置網流失、網走支庁管内の被害額6億円(第2次オホーツク災害) 全国底曳網漁業協会創立
昭和38年 1963年 網走漁協がポンモイ沖にコンブ礁投入 水産物輸送協会設立
昭和38年 1963年 網走漁協、イカの獲れすぎで漁獲制限実施 北日本遠洋漁業公社設立
昭和38年 1963年 貝殻島周辺の安全操業が18年ぶりに実現する
昭和38年 1963年 日中民間漁業協定
昭和38年 1963年 巡視船「宗谷」がオホーツク海で流氷調査実施
昭和38年 1963年 沿岸漁業振興法公布
昭和38年 1963年 元稲府基地(雄武町)でズワイガニの試験操業開始
昭和39年 1964年 網走基地の底曳船5隻、冬季間日本海へ初出漁 第2期北洋転換計画スタート
昭和39年 1964年 道水試網走支場、網走地方水産試験場に昇格、水産研究所は廃止 アメリカの「大陸棚法案」成立
昭和39年 1964年 網走湖産ワカサギ卵2億5千万粒が道内5湖沼に移植される 道沿岸漁業構造改善事業実施
昭和39年 1964年 網走市機構改革、水産課新設 道漁業共済組合発足
昭和39年 1964年 網走港のイカ水揚げ5億円突破
昭和39年 1964年 オホーツク海の毛ガニ漁全面禁漁
昭和39年 1964年 網走漁協はポンモイ海岸にコンクリートブロック950基投入
昭和40年 1965年 網走基地の底曳船4隻、冬季間日本海で操業のため出港 底曳網漁業禁止区域問題活発化
昭和40年 1965年 網走海域のホタテ漁、3年ぶりに解禁 北転船オッタートロール方式を採用
昭和40年 1965年 網走海域のイカ獲れすぎのため、漁獲制限を実施 ソ連から西カムチャッカのスケトウダラを年間45,000t輸入
昭和40年 1965年 網走商港から本州向け食用馬鈴薯を海上輸送
昭和40年 1965年 網走沿岸のサケ不漁、609t、2億3,000万円と前年の半分以下
昭和40年 1965年 常呂町栄浦にサロマ海藻類人工採苗場と網走水試分場設置
昭和40年 1965年 網走第一水産加工業協同組合発足
昭和41年 1966年 網走市水産加工振興会発足 底曳、沿岸の禁止区域問題の解決
昭和41年 1966年 網走湾底曳漁禁止区域改定告示 底曳禁止区域拡大の告示
昭和41年 1966年 網走水産試験場新庁舎の落成式を鱒浦で挙行
昭和41年 1966年 網走港水産物総生産高5万1千トン、23億5千万円(戦後第2位)
昭和42年 1967年 コンブの養殖事業開始 漁業協同組合合併助成法公布
昭和42年 1967年 網走から下関へ冷凍すり身輸送試験車が出発 沖合底曳大型化の方針出る
昭和42年 1967年 網走水産加工センター落成 未開発深海漁場開発試験
昭和42年 1967年 外国人漁業規制法公布
昭和43年 1968年 樺太東海岸北部オッタートロール、網走より125t型2隻が試験操業のため出漁 釧路、サバ大漁水揚げのため、スケトウダラ魚価暴落
昭和43年 1968年 北大低温科学研究所の網走流氷観測レーダー局開局 第1回北海道漁港大会開催
昭和43年 1968年 北海道道水産部、初の許容量方式で毛ガニ漁を解禁
昭和43年 1968年 サロマ湖のサケ定置網漁許可
昭和43年 1968年 網走川の採卵用サケ蓄養池完成
昭和44年 1969年 管内タラバガニ刺し網漁、14年ぶりに解禁 水産物輸出28,600万ドルで世界1位
昭和44年 1969年 網走港、政府買上げ澱粉積出港に指定 全国冷凍魚肉協会設立
昭和44年 1969年 道水産加工製品開発試験網走工場設置 漁業近代化資金助成法公布
昭和44年 1969年 ソ連漁業視察団来網 武蔵堆西側及び沿岸州沖合未利用漁場開発試験操業
昭和45年 1970年 北洋ニシン漁の第1船、「第5大林丸」が網走港を出港 漁業専管水域200海里対策のため水産庁は「国際海洋法会議対策委員会」設置
昭和45年 1970年 網走・斜里第一・ウトロの3漁協合同でホタテの稚貝100万粒放流 北部オホーツク海域の北転船、未利用漁場開発試験
昭和45年 1970年 ソ連漁業視察団来網 中南部千島深海部海域の沖底未利用漁場開発試験
昭和45年 1970年 第14回日ソ漁業委員会のサケ・マス交渉妥結調印、日本側割当29万トン
昭和46年 1971年 オホーツク海における抱卵ニシンの操業を全面禁止 カナダより抱卵ニシン1万トン輸入
昭和46年 1971年 西網走漁協青年部設立 貝殻島区域におけるコンブ採集協定(ソ連)
昭和47年 1972年 新市場法に基づく網走地方卸売市場開設 指定漁業の一斉更新
昭和47年 1972年 わが国の漁獲量史上初の1千万トン台を記録
昭和48年 1973年 能取湖ホタテ貝垂下上層分が高温のため死滅 国際漁業対策委員会が発足
昭和48年 1973年 サロマ湖新湖口開削着工(昭和51年完成予定) オイルショック起こる
昭和49年 1974年 能取湖ホタテ小型機船底曳網漁業許可申請12隻 漁業経営危機突破全国漁民大会開催
昭和49年 1974年 能取湖口の開削が行なわれ、オホーツク海と直結 水産三法可決「漁業近代化資金助成法」「中小漁業融資保証法」「沿岸漁場整備開発法案」
昭和49年 1974年 サケ・マス孵化場藻琴事業所落成式
昭和50年 1975年 能取漁港卸売市場完成 ソ連漁船による本道沿岸の漁具被害973件、23,299万円におよぶ
昭和50年 1975年 能取漁港第1回試験入港(20トン型 1隻) 北海道の沿岸秋サケ漁、史上最高の水揚げを記録
昭和51年 1976年 網走漁協青年部20周年記念式典 北海道外国漁船被害対策本部を道に設置する
昭和51年 1976年 能取湖さけ・ます孵化協力会設立 国連海洋会議、領海12海里に経済水域は200海里とする方針を決定
昭和51年 1976年 網走湖アオコ異常発生調査
昭和51年 1976年 能取漁港第2回試験入港(10トン型 3隻)
昭和52年 1977年 北方漁業危機突破網走大会 領海12海里、漁業専管水域200海里法を施行
昭和52年 1977年 オホーツク海韓国船無謀操業反対の海上・陸上デモ実施 北洋漁業救済基本方針5項目閣議決定(減船補償措置、雇用対策、不要漁船処分、関連産業への融資地域振興)
昭和53年 1978年 嘉多山わかさぎ孵化施設完成 噴火湾の養殖ホタテ貝大漁斃死及び貝毒発生
昭和53年 1978年 韓国船、オホーツク海の大和堆で底曳船に被害を与える ソ連側の臨検はじまる
昭和53年 1978年 能取漁港第3回試験入港(60トン型 1隻) サロマ湖新湖口通水式
昭和54年 1979年 韓国船追放陸海上デモ 道、漁業燃油対策本部設立
昭和54年 1979年 能取漁港第4回試験入港(124~180トン型、底曳8隻) 道、コンブの検査業務廃止打ち出す
昭和54年 1979年 道漁連、150億円近い巨額損失出す
昭和55年 1980年 網走漁協調査船「若汐丸」進水式 食品添加物の過酸化水素水に発ガン性が確認される
昭和55年 1980年 網走マリンビーフ協同組合設立 日ソサケ・マス交渉、漁獲割当量4万2,500t(昨年同)で妥結
昭和55年 1980年 能取漁港開港式(10~124トン型、16隻入港)
昭和56年 1981年 北海道立網走水産試験場紋別分場が支場に昇格 米アラスカ州、沿岸200海里内のズワイガニ対日漁獲量をゼロとする
昭和56年 1981年 網走漁協が止別川沖に赤色染めヒトデ放流、移動調査始める 日ソサケ・マス交渉妥結、漁獲量割当4年連続4万2,500t、協力費は40億円に増額
昭和56年 1981年 能取湖内でサケ稚魚の海中飼育開始
昭和57年 1982年 網走漁協ホタテ研究所開所 日ソサケ・マス交渉、前年どおりで妥結
昭和57年 1982年 呼人ワカサギ孵化場完成 IWC総会、3年後に商業捕鯨を全面禁止するという提案を可決
昭和57年 1982年 網走沖で「探海丸」によるズワイガニ資源調査始まる 環境庁、全国主要湖沼の調査結果発表、網走湖は全リン0.042ppm、全窒素0.91ppmで富栄養化進む
昭和57年 1982年 網走湖にアオコ発生(8月9日)
昭和58年 1983年 能取湖ホタテ貝氷下採捕試験実施 ワシントン条約締結国会議、ミンククジラなど4種を新たに採捕禁止を決議
昭和58年 1983年 日韓漁業暫定取り決め交渉、3年延長で合意となる
昭和58年 1983年 日ソサケ・マス交渉妥結、漁獲割当量4万2,500t
昭和58年 1983年 日ソ漁業交渉妥結、日本の昭和59年割当量70万t
昭和59年 1984年 能取地区ホタテ共同作業施設完成 湖沼法が成立する
昭和59年 1984年 港町港内水深測量 日ソサケ・マス交渉、対日漁獲割当量4万t(2,500t減)、漁業協力費42億5千万円で妥決となる
昭和59年 1984年 市は昨年行なった水質汚濁調査結果発表、網走湖はCODが4.8~15ppmで依然として環境基準を3ppm超える IWC総会、南氷洋捕鯨(ミンククジラ)4,224頭に決定、昨年実績36%減
昭和59年 1984年 網走漁協がクロガシラ生態調査、150尾に標識をつけ鱒浦沖に放流 イカ釣り漁船「第36千代丸」が銃撃を受け、船長死亡
昭和59年 1984年 網走湖全域にアオコ異常発生、周辺に異臭が拡散(9月6日) 日米捕鯨協議、日本はS.63年以降、沿岸マッコウ捕鯨から撤退で合意
昭和59年 1984年 日ソの200海里水域内での漁業枠組みを定めた新協定調印
昭和59年 1984年 日ソ漁業交渉妥結、双方の漁獲割当量60万t、ソ連船寄港地は塩釜など
昭和60年 1985年 対ソ漁業危機突破緊急網走市民大会 水産庁、マリノベーション構想まとまる
昭和60年 1985年 網走湖環境調査会議開催 氷温食品協会発足する
昭和60年 1985年 能取湖海草調査会議開催 IWCの商業捕鯨全面禁止決定に対し、日本政府は異議申し立て撤回、3年後から商業捕鯨を撤退
昭和60年 1985年 網走湖水質環境シンポジウム開催
昭和60年 1985年 網走湖にアオコ大量発生し湖内に拡散、市が水質調査実施(6月19日)
昭和61年 1986年 対ソ漁業交渉危機突破大会 北海道漁業および水産加工業経営安定条例制定
昭和61年 1986年 呼人鮭鱒孵化場、現位置に新改築 道、北洋漁業対策本部設置
昭和61年 1986年 北海道立網走水産試験場加工部、紋別に移設 「特定地域中小企業対策臨時措置法」が制定される
昭和61年 1986年 北洋漁業の縮減による機船底曳網漁船5隻減船 日ソ漁業交渉、漁獲量15万t、底刺し網漁全面禁止で妥結
昭和61年 1986年 網走漁協ホタテ部会は濤沸湖沖合の新海域漁場に稚貝放流始める
昭和61年 1986年 網走湖全域にアオコ異常発生(7月15日)
昭和61年 1986年 西網走漁協青年部、能取湖のホッキガイ種苗生産試験の取り組みすすむ
昭和62年 1987年 網走湖女満別湖畔にカレイ、ウグイの死骸多数浮上(4月21日) 水産庁はIWCに対し、国内の基地式小型捕鯨を「生存捕鯨」として存続させるための計画書提出
昭和62年 1987年 網走湖の魚類大量斃死の原因は強風などによるものと発表(5月1日) IWC総会で調査捕鯨規制案採択、今後の網走基地の小型捕鯨困難(6月25日)
昭和62年 1987年 北風で網走湖に青潮発生(5月26日)
昭和62年 1987年 濤沸湖ワカサギ孵化場落成(孵化能力14億粒)
昭和62年 1987年 秋サケ不漁(漁獲量前年比54.6%)
昭和63年 1988年 西網走漁協、網走湖に塩分・水温の連続観測センサー設置
昭和63年 1988年 網走漁協藻琴部会は藻琴湖のいけすにニジマス系のドナルドソンを放流
昭和63年 1988年 網走沖の捕鯨、ツチクジラを対象に操業始まる
昭和63年 1988年 網走漁協、漁場改良試験で能取沖に貝殻約3,000トン散布
昭和63年 1988年 台風並みに発達した低気圧により網走漁協被害6億9,000万円、定置網はほとんど全滅の被害
昭和63年 1988年 網走漁協、藻琴湖でカキの養殖試験成功
平成元年
(昭和64年)
1989年 「オホーツク・マリンフォーラム」開催 サケ親漁確保のため、マス小型定置の沖出しを200~250mに短縮、マス網に入ったサケは500尾以上放流に決まる
平成元年
(昭和64年)
1989年 網走前浜に流氷接岸せず
平成元年
(昭和64年)
1989年 藻琴湖で網走漁協のドナルドソン養殖事業化試験
平成元年
(昭和64年)
1989年 網走漁協は東京農業大学などの協力を得て、藻琴湖のカキ貝とドナルドソンの養殖の成果報告と試食会を実施。企業化について研究始まる
平成元年
(昭和64年)
1989年 網走漁協藻琴産カキ貝の即売会
平成2年 1990年 網走漁協ホタテ部会は止別沖に新漁場を完成、生産目標1万tとする
平成2年 1990年 シンポジウム「今、川と湖と森を考える」が開催される
平成2年 1990年 市水産振興協議会の水産振興実施計画まとまる
平成2年 1990年 スケトウダラ資源保護のため、水揚げ直後人工授精し放流(漁船員に技術指導)
平成2年 1990年 網走水試はカレイ移動分布調査で能取湖・サロマ湖に放流
平成3年 1991年 オホーツク海の北見大和堆周辺海域総合開発調査事業採択となる IWC総会で沿岸小型捕鯨(ミンククジラ)が今年も禁止となる
平成3年 1991年 オホーツク・マリンフォーラム(2月1日)
平成3年 1991年 網走漁協北浜部会のワカサギ採卵25億粒、地元孵化は7億粒、他は道内外へ
平成4年 1992年 網走湖のウグイ大量死は酸欠が原因と発表(昭和62年4月発生) 網走水試、雄武からウトロまでの毛ガニ資源調査始まる
平成4年 1992年 調査船「若汐丸」による北見大和堆の資源調査始まる
平成4年 1992年 網走市水産科学センター開館(6月)
平成4年 1992年 網走湖の呼人湾でアオコが大量に発生(7月14日)
平成4年 1992年 環境庁は濤沸湖一帯を国設鳥獣保護区に設定した
平成4年 1992年 藻琴湖のシジミ、台風17号の大雨で全滅の被害
平成5年 1993年 能取湖に流氷が入り込んでホタテ貝養殖かごに被害(8,000万円超) サロマ湖に流氷が入り込み、養殖施設に被害が続出
平成5年 1993年 壊滅した藻琴湖名産シジミ貝の回復に網走川の種貝の移植放流がはじまる 網走など国内沿岸捕鯨基地の女性が京都で「鯨・魚食文化シンポジウム」を開催
平成5年 1993年 能取湖のアサリに漁業権設定 IWCで網走の沿岸小型捕鯨認められず。
平成5年 1993年 網走開建は網走湖の呼人浦でヘドロの除去試験に着手
平成5年 1993年 網走市水産科学センターでマツカワの中間育成・放流試験を開始
平成5年 1993年 標識をつけたマツカワを能取湖に放流(試験放流、1,000尾)
平成6年 1994年 網走湖のワカサギ氷下漁不振 IWC総会で南極海鯨サンクチュアリ案が可決(5月26日)
平成6年 1994年 網走港に保税蔵置場完成 IWC総会で日本沿岸のミンク鯨50頭捕獲枠を要求する日本案否決(5月27日)
平成6年 1994年 網走湖にアオコ発生(7月19日)
平成6年 1994年 網走湖にアオコ大量発生(8月1日)
平成6年 1994年 網走湖のアオコ、移動式浄化プラントで処理開始(8月24日)
平成6年 1994年 VNNウィルス発生によりマツカワ種苗配布が中止となり、試験放流も中断
平成7年 1995年 強風により網走湖で3年半ぶりに青潮発生(11月8日)
平成7年 1995年 藻琴沖でマツカワ856尾を試験放流
平成7年 1995年 網走漁業協同組合事務所が川筋から港町に新築移転
平成8年 1996年 網走漁協は能取岬沖の海底にミズダコの産卵礁を投下
平成8年 1996年 斜里・網走・常呂海域マツカワ放流事業推進協議会を設立
平成8年 1996年 藻琴沖にマツカワ475尾放流
平成8年 1996年 網走湖にアオコ発生(7月15日)
平成8年 1996年 網走湖のアオコは呼人浦一帯に拡散(7月17日)
平成8年 1996年 網走湖全域に今年3度目のアオコ発生を確認(8月30日)
平成8年 1996年 網走湖で今年最大規模のアオコ発生(9月17日)
平成9年 1997年 網走湖に青潮発生、幼魚千数百匹斃死(5月4日) 日露サケ・マス交渉漁獲枠4,000t増で妥結
平成9年 1997年 マツカワ稚魚2,123尾を斜里沖に標識放流(11月16日)
平成9年 1997年 環境庁、能取湖塩性湿地を生態系保護重要地域に指定
平成10年 1998年 藻琴川環境保全対策協議会設立 カナダで開催された「世界捕鯨者カウンシル(WCW)」に、網走からも市長代理として鈴木収入役が出席して網走市の見解を発表、商業捕鯨の早期復活を訴えた
平成10年 1998年 マツカワの試食会開催(網走セントラルホテル、7月3日)
平成10年 1998年 台風5号、7号の影響で網走湖が3度増水して平均水位より100㎝以上上昇し、ワカサギ・シラウオなどの秋漁に影響。
平成10年 1998年 ウトロ岩尾別沖にマツカワ1,552尾放流
平成11年 1999年 網走漁協沖合底曳船の減船、8隻の内5隻が自主減船 サハリン北東沖で原油を生産している大陸棚石油・天然ガス開発計画「サハリン2」の掘削基地「モリクパック」で、送油管が外れて原油約480リットルが海中に流出(9月28日未明に発生)
平成11年 1999年 大物マツカワ(50㎝、4歳)、斜里町の前浜で水揚げされる サハリン沖油田事故災害対策沿岸都市協議会発足(網走・根室・紋別・稚内・留萌の5市で構成、11月1日)
平成11年 1999年 海洋レクリエーション基地「レイクサイドパーク・のとろ」能取漁港に建設
平成11年 1999年 マツカワ稚魚約709尾を常呂沖に試験放流(12月)
平成12年 2000年 体長55cm、重さ3.4kgのマツカワが斜里沖で水揚げされ、平成9年11月に斜里沖に放流されたものと判明(11月13日)
平成12年 2000年 藻琴沖にマツカワ稚魚1,059尾を標識放流(12月8日)
平成13年 2001年 体長55cm、体重約2.5kgのマツカワが捕獲され、平成9年に斜里沖で放流された4歳魚と判明 常呂漁協と佐呂間漁協は、9月にオホーツク地方を襲った台風15号による大雨の影響で、常呂川からオホーツク海に大量に流れ込んだ土砂でホタテの稚貝が圧死して、約10億円の被害が発生したと発表した
平成13年 2001年 藻琴沖にマツカワ1,874尾放流
平成13年 2001年 台風15号による洪水・濁水によって、網走川におけるサケ遡上が長期にわたって阻害された
平成13年 2001年 網走漁協、滅菌海水冷却装置を設置
平成14年 2002年 IWC会議対策網走実行委員会(委員長:大場網走市長)は、市内小中学校の給食にミンククジラ肉を提供(3月4日) 第54回IWC(国際捕鯨委員会)年次総会が下関市で開かれ、市長・市議会議長らが「第1回地域社会と鯨に関する全国自治体サミットに参加
平成14年 2002年 「オホーツクの捕鯨文化フォーラム」開催(主催:IWC会議対策網走実行委員会、3月16日開催)
平成14年 2002年 網走湖嘉多山地先で青潮発生(4月18日)
平成14年 2002年 マツカワ稚魚2,127匹を網走市藻琴沖に試験放流(9月19日)
平成14年 2002年 浦士別川下流で土砂による河道閉鎖
平成15年 2003年 網走市水産品推奨普及検討委員会(網走市おさかな委員会)は、「網走の活き粋き7珍」にカラフトマス(愛称:オホーツクサーモン)、キンキ、クジラ、スケトウダラ、ワカサギ、シラウオ、シジミを選定(2月26日) 紋別港第3埠頭地区にマイナス12m岸壁が完成(4月16日)
平成15年 2003年 女満別町豊里で畑が崩落した影響で、網走川に大量の濁水が流入
平成15年 2003年 海明け後の海岸町でウニなど大量斃死
平成15年 2003年 網走川水系でワカサギ遡上不振
平成15年 2003年 IWC会議対策網走実行委員会は、組織名を「網走くじら協議会」に改称
平成15年 2003年 資源回復のため、能取湖ホッカイエビ漁を1年間禁漁とした。
平成15年 2003年 藻琴沖にマツカワ稚魚2,283尾を標識放流(9月12日)
平成15年 2003年 マツカワ・クロソイ栽培漁業試験報告会と試食会実施(12月5日)
平成16年 2004年 猛吹雪によりオホーツク海及び能取湖のホタテ中間育成施設に被害
平成16年 2004年 能取湖に流氷が流入し、ホタテ中間育成施設に被害(3月)
平成16年 2004年 網走くじら協議会は市内小中学校で鯨肉給食を実施
平成16年 2004年 網走湖シジミの大量斃死が確認され、水産試験場を中心とした緊急対策会議が招集された
平成16年 2004年 藻琴沖にマツカワ2,097尾放流
平成16年 2004年 「網走の活き粋き7珍」で試作した蒲鉾の試食会を開催
平成16年 2004年 道立水産孵化場道東内水面室が水産科学センター内に開設(7月1日)
平成16年 2004年 台風18号による強風の影響で、網走湖嘉多山地先で青潮発生
平成16年 2004年 網走川のサケ捕獲施設(ウライ)で大量のウグイ、ボラ、カワガレイなど約3トンが斃死、網走湖での無酸素水の上昇が原因と見られ、サケ親魚への影響も懸念される
平成16年 2004年 能取湖定置網内のサケ斃死、原因は珪質鞭毛藻によるものと推定
平成16年 2004年 「斜里・網走・常呂海域マツカワ栽培漁業推進協議会」は、来年度よりマツカワ稚魚の放流を中止することを決めた
平成16年 2004年 東京農業大学オホーツク臨海研究センター開所式(11月29日)
平成17年 2005年 「網走水産物試食会」開催(7月8日)
平成17年 2005年 濤沸湖がラムサール条約登録湿地に認定される(11月8日)
平成17年 2005年 網走湖で塩水遡上抑制実験が開始
平成18年 2006年 網走市水産科学センターに設置された島根大学汽水域研究センターの「網走観測ステーション」開設記念特別ゼミナールを開催(5月19日) 知床半島を含む斜里町沿岸などで、油にまみれた大量の海鳥の死骸が発見された問題で、原因となった油は大型船舶の燃料などに使われるC重油の可能性が高いことが道の調査で判明(3月)
平成18年 2006年 網走湖にアオコ発生(6月1日) オホーツク海沿岸で4月11日までに海岸に漂着したドラム缶48本が発見された。中にはハングル文字が書かれ、中に油のような液体が入ったドラム缶もあるが、油まみれの海鳥の死骸との因果関係は不明(後日、内容物は潤滑油で、海鳥との因果関係はないことが判明)
平成18年 2006年 「釣きんき」商標登録(10月6日) 日露漁業交渉、日本側の漁獲割当量について、スケトウダラなど4,825tを有償枠に追加することで合意
平成18年 2006年 10月6日から9日にかけて猛威を振るった暴風雨による被害状況の中間報告発表、網走管内の水産被害はサケ定置網やホタテ養殖施設など41億4,000万円 アイスランドは1985年以来中止していた商業捕鯨を約20年ぶりに再開すると発表
平成18年 2006年 西網走漁協青年部、網走湖産シジミの冬季間蓄養試験開始 ノロウィルスによる風評被害で道内産カキの価格が急落
平成19年 2007年 能取湖で青潮発生。ホタテ稚貝1,200万粒が斃死(9月17日に斃死確認) IWCの資源管理機関としての在りかたを議論するために東京で開催された国際会議で、日本の小規模な沿岸捕鯨を認めるなど多様な食文化の維持を目指すことを盛り込んだ議長報告を採択。反捕鯨国は不参加。(2月15日閉幕)
平成19年 2007年 小樽沿岸のニシン豊漁
平成19年 2007年 日露漁業合同委員会は、日本200海里水域内の日本漁船によるロシア系サケ・マスの今年の漁獲量を3,175t、漁業協力費を4億400万円~4億7,350万円の範囲とすることで合意。
平成19年 2007年 南極海での調査捕鯨でザトウクジラの捕獲を今後1~2年中止することで、水産庁とIWCが合意。
平成20年 2008年 第1回能取湖青潮対策総合調査検討委員会開催(4月17日) 日露漁業合同委員会が開催され、1kg当たりの漁業協力費を前年より4円61銭安い145円9銭とすることなどで合意。
平成20年 2008年 西網走漁協は、網走湖のシジミの漁獲量を前年の100t減の700tとすることを決定。 漁船燃料の価格高騰に伴い、全国20万隻が一斉に休漁した。(網走・西網走両漁協も全面休漁)
平成20年 2008年 網走漁協は網走川右岸(南1条東1)に所有する船尾つり上げ装置を撤去。




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